断絶既定路線

朝食の支度をしなかったので、コンビニでおにぎりを食べた。鮭マヨネーズという奴だった。

ジェットコースターが上る。暖かい春、暑い初夏、ものすごく厚い夏、暑い秋、暖かい初冬。急角度で滑り降りる。悲鳴と絶叫。そして気温二度。

初めてジェットコースターに乗ったのは小学二年生の時だった。千葉にあった奴遊園のジェットコースターだった。小学三年生の時に、富士急ハイランドのジャイアントコースターに乗った。これが怖すぎて、しばらく絶叫マシンに乗れなくなった。
中学一年生の時、遠足でディズニーランドに行った。班ごとの自由行動だった。みんなでスペースマウンテンに乗ることになった。平気なふりをしていたが、乗る前は超絶ビビっていた。しかし乗ってみたら案外平気で、結構楽しかった。
中学三年生の時、卒業前の遠足で富士急ハイランドに行った。360度回転を二回するのに乗った。まったく怖くなく、世界が反転するのが面白かった。

クッション、座布団、布団、ベッドなど、柔らかいところにものを放る時、恐怖感を感じることがある。ある程度重くて大きいものであることが条件で、靴下やタオルではそういう感じは起こらない。広辞苑とか、二リットルのペットボトルだと、自分が落花しているような気になり、クッションに受け止められる瞬間を正視できない。

バンジージャンプが苦手だ。得意な人はいるとは思えないが。
そのくせ、スカイダイビングをやってみたいと思ったことが何度かある。

泳いでいる時、深いところにきて、底がずっと下の方に見えるようになると、高いところを飛んでいるような気がして、怖くなることがある。千駄ヶ谷のプールで泳いでいる時にそれを感じた。
海でシュノーケリングをしていて、沖に向かって泳いでいる時にも感じたことがある。海底に海藻が繁茂していて、晴れていて光が届いている時はいい眺めなのだが、曇ったとたん、不気味な生き物の触手が薄闇で蠢いているように見えた。

昼になっても暖かくなかった。「ままや」で生姜焼き定食を食べた。ここは本来小さい飲み屋で、通信系の巨大企業の社員がひっそりと通う店らしい。

6時半帰宅。走りに行く。筋肉痛はなくなっていた。
調子も良かった。本番より良かったかもしれない。とはいえ、環八と五日市街道の交差点まで、往復5キロ走っただけなので、今レースを走ったらもっといいタイムが出せるなどという負け惜しみは言えない。でも言う。今走ればもっといいタイムが出せる。「今は走ればもっといいタイムが出せますね!」とか、みんなに言われてちやほやされたいと思った。

サミットで、小松菜、大根、もやし、人参、にら、豆腐、鶏もも肉、生牡蠣を買って帰宅。ちゃんこ鍋を作り、風呂に入り、生牡蠣を食べて炭酸水を飲み、ちゃんこを食べた。

はしもとおさむ『草薙の剣』読了。
凪生が高校生の時、震災ボランティアに行く場面で、母親に「頑張って」と言われ、言葉を失う場面が、とても印象に残った。母親はバブル世代のキャリアウーマンで、息子はゆとり世代。
世代が断絶するのは、どの国、どの時代でも、当たり前のことなのだろうか。江戸時代、明治、大正はどうだったのだろう。今ほどの断絶感はなかったと思う。「何々世代」という区分けがされるようになったのは、戦後になってからだ。そして、今の日本は、世代間には断絶があるのが既定のことのように思っている「何々世代」と区分けされる人達でのみ構成されている。
もしかして、区分けしにくい世代がどんどん出てきて、その世代が上にあがって、断絶が今ほどはっきりとしたものでなくなってきて、初めて日本は戦後の混迷を抜け出せるのだろうか。
そんなことを思った。