自分の中にある、あった、そいつを探す方法

朝と昼にちゃんこを食べた。飽きてきたが昼には食べ終えた。

洗面台とトイレの掃除などをし、洗い物を片付け、夕方4時半に家を出る。
5時半に北野へ。イシイさんと稽古をする。
今日はイトウさんも加わることになり、三人で一緒にやった。
始めに、スペースについて話し合いをした。二つの候補があり、どちらがいいか意見を出し合った。一つは、階段に傾斜があり上りづらいのだが、ロケーションは良さそう。もう一つは、広めだが散らかっていて、自由さがあるが場所はやや遠めだった。しかし、散らかったさまが魅力的に感じた。そこがいいのではないかと意見を出した。もう一つの方が好ましいという意見も出たが、そこは近いうちに閉鎖されてしまうとのことだった。

練習を一度やり、休憩と雑談をはさみ、必要な箇所をやり直した。作っている時に感じていることを言葉にしてはおらず、反射と本能で進めている。振り返って、作る時のことを言葉にすると、我ながらややこしい言い方になっている。しかし、作っている時にそれらの言葉は頭に浮かんでいないのだ。
にも関わらず、言葉にするということを試みると、おれはそういう意図を持っていたのかと、後から気づいたようになる。その意図は初めからあったわけではない。行く先を決めずに車を走らせているうちに、そうか、おれは千葉の海岸に行きたかったのかと気づくようなものだ。千葉の海岸に行きたい気持ちは、行き先を決めないから生まれ得たのだろうし、そうやって決めた行き先には、理屈や計画を超えた何かを感じる。大げさに言えば啓示だろう。

帰りの電車でイトウさんと一緒になった。
イシイさんは、昔おれが作ったあるものを、とても好きになってくれた。自分はそれを、意図して作ったわけではなかった。でも作ったのは事実だから、その「良さ」のようなものは、きっと自分の中にあったのだろう。
それは今でもあるのかを確かめるためには、イシイさんを反射して見えたり感じられたりする自分を見て、判断することではないかと思った。
そんなことをイトウさんに話した。

永福町のスーパーで、半額割引のフライドチキン、ヒレカツ、ポテトフライを買った。家に帰り、炭酸水を飲み、それらのジャンクフードを食べた。

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