ちょっと、書きたくなってきた

腹筋が痛い。
腹筋ローラーの腹筋を久しぶりにやったのだが、痛さに比例するほど長いこと、やっていなかった。筋肉は衰えるものだということを今さらながら痛感している。

四谷シモン『人形作家』読了。
ふと気になって、Youtubeを「四谷シモン」で検索したら、80年代のバラエティ番組『今夜は最高!』に出演している映像があった。ホストがタモリさんだから、会話には飲み友だちふうのムードが漂っていた。
世の中で一番面白いのは、才人が集まった酒場の会話だと思う。いや、むしろ、飲みの場を面白くする努力こそ、芸を磨くことに通ずるのかもしれない。

夕方、珍しくウイスキーを買い、ハイボールにして飲んだ。ウイスキーの酔いは、ある程度深くなると進まなくなり、一定の深さが維持されたまま持続する。しかし、その持続は動き回らないことを前提にしているので、歩く程度の運動をするとたちまち崩れる。

過去、強烈に酔った記憶を振り返ると、宴席で飲んでいる間の記憶はあるのだが、家に帰るため歩いているうちに酔いが回って記憶がなくなるということがよくあった。しかしここ十年以上、そこまで深い酔いを外で経験したことはない。
おれの父親は、今のオレの年頃でもしょっちゅうべろんべろんに酔っ払っていた。あれはどのくらい飲んでいたのだろうか。体格や胃袋の許容量から考えて、今のオレよりたくさん飲むことはできなかったはずだ。ひょっとして、父はそんなに酒に強くなかったのではないか? あるいは、積極的に酔っぱらおうと思いながら酒を飲んでいたのだろうか?

二十代のごく初め頃、酒に強いと思われたがっていた。それは大人に見られたがる気持ちと同じカテゴリーに属していた。
特に、諸先輩方や年上の人がいる席で、その「あいたたたた」志向は強まった。で、飲んでも冷静な顔でいられるように神経を使った。このため、酒の席ではよく、微笑気味の無表情になった。イメージとしては、目を細めた初代ケンちゃんが子役時代の今だから話せるエピソードを言う直前みたいな感じ。要するになんか腹立つ感じ。

そういう無理をしなくなったのは二十二歳ごろからだった。大学四年生になり先輩と飲む機会がなくなったのと、過去の経験で「お酒強いね」と言われたところで特になんのメリットもないことを学んだからであった。

しかし、酒に強いように思われる努力をしなくなると、一時的に酒に弱くなった。結果、大学四年生の一年間は、酒の上の失敗が人生においてもっとも多い年となった。終電乗り過ごし、寝坊、遅刻、絡み酒、記憶喪失、失踪、暴言、唾はき、エトセトラ。

その渦中である二十二歳秋の宴席で、友人にからんでいる写真がある。それを今日探したのだが、見つからなかった。ここ数年来進めた断捨離で、天袋の箱物系荷物は極限まで減らしたので、しまってあるスペースはそんなに多くない。捨ててしまったはずはないので、どこかにあるのだろうが、皆目見当がつかない。
断捨離をしても、何をどこにしまってあるのかを記録しておかないとこういうことになる。

一方、捨ててしまったと思いこんでいたものを見つけることもできた。以前、芝居で使った、みかんのかぶり物である。

かぶってみたら、暖かくて心地よかったが、さすがに家でしかかぶれない。他に使い道と言ったら、やはり芝居になるんだろうが、みかんのかぶり物ありきの芝居なんて書けるんだろうか? 頭に浮かぶのはせいぜい、オレンジおじさんというキャラクターくらいだ。そこから始めても、どこにも行けない。

強引に定義すれば、どこにも行けない人がたくさんいる時代からこそ、どこにも行けない芝居を書く、ということにもなるんだろうが、どこにも行けない人はむしろ、どこかに連れていってくれる芝居を見たがるんじゃないだろうか。

というより、芝居はそもそも、見る人をどこかへ連れていってくれるものではないだろうか。

とすると、オレンジおじさんはここではないどこかへ行けるのだろうか、という発想で書けばいいのかな。スタート地点はやっぱり愛媛県かな。昨年愛媛県に旅した経験を生かせるかな。