夏目漱石先生

7時20分起き。朝飯に牛乳のみ。

自転車で現場行き。寒くなってきたが15分も漕ぐと体が暖まってくる。

午前中、データの入力チェックのプログラムを解析する。こういうのは、作る時に面倒な作業が山ほどあるのだ。ものすごいプレッシャーがあるとか、やる気に満ちあふれているとかでないと、スイスイとは作れない。

昼、ひじきサラダとばってら。

夏目漱石『二百十日・野分』読了。

「野分」の主人公は高柳君といっていいだろう。
高柳君は、大学を出たけれど、なかなか文学で身を立てることができず、地理学の本を翻訳するなどして口を糊している。友人の中野君は彼に同情し、食事を奢ったりコンサートに連れていったり、果ては自分の結婚式に招待したりするのだが、中野君はお金持ちなので、高柳君はかえって劣等感を苛まれ、いっそういじけて独りぼっちになってしまう。

高柳君には、かつて中学生の頃、理想を説いて疎まれていた教師をみんなでいじめて追い出したという過去がある。追い出されたのは白井道也先生という。

しかし先生は追い出されたなんて思っている様子はなく、今でも理想を説き、人々を啓蒙しようという意志に変わりはないらうい。

高柳君は、道也先生らしき人の消息を中野君から聞き、会って、学生時代のことを謝りたいと思う。そして実際に訪ね、自分はかつてあなたの生徒でしたと告げ、謝ろうとするが、先生は何ごとにも恬淡としており、なかなか話の穂が継げない。

そうこうするうち、高柳君と先生の妙な交流が始まり、高柳君はだんだん、先生の説く理想に感化されていくようになる。エンディングが大変うまい終わり方だった。

先生が説く理想は、高柳君の劣等感と対を成している。それゆえに高柳君は先生の言葉に力づけられたのだが、その理想は読者からみると四角四面に感じられ、説得力抜群とは思えなかった。

しかし、高柳君の劣等感や、そこから始まる鬱屈のありさまには実にリアリティがあり、「お前はおれか?」と読み手に感じさせる力が大変強かった。

夏目漱石は、青年の鬱屈を、日本で初めて描いた人なのではなかろうか。漱石が日本で最初の「先生」だという説を、確か内田樹が何かの本に書いていたと思うが、それは、漱石が青年の鬱屈を見事に描けたからではないか?

「夏目先生」という呼び方は、ティーチャーだけでなく、ドクターの意味も暗に込められているのではないか?

こうなってくると、近いうちに『三四郎』とか読み直さないといかんな。

午後、新業務の打ち合わせ。資料を読み込んだ甲斐あって、イメージはつきやすくなってきたが、スケジュールの立て方は不安。

夕方、のぞき坂を自転車で下りてみた。ブレーキかけっぱなしでないと降りられないほどの急斜面だった。正直、ヤビツ峠の坂よりも傾斜はキツかった。新宿、早稲田方面から不忍通り方面に延びる地下鉄路線がないのは、このあたりから目白台の坂があまりにもエグいからではなかろうか。

『たまむすび』月曜分をラジコで聞きながら帰宅。

寒くなり、そろそろ暖房のことを考えないといけなくなった。ガスファンヒーターをつけたものかどうか迷っている。理由は、すべての部屋が暖かくなるのは良いのだが、その分、結露する面積が飛躍的に増大し、カビが生えやすくなってしまうからだ。こたつと併用すれば、ヒーターをつける時間は短くなるが、こたつから出られなくなる。
今日はエアコンをつけたが、これは空気がやたらに乾燥する。

一番いい方法は、現在使っているガスファンヒーターのガスコードを今よりも長いものにして、ファンヒーターを寝室まで持ってこられるようにすることだろう。それによって、暖めるスペースをより限定できるかもしれない。