5時半起き。7時まで書き作業。
朝飯に、ごはん、昨日の残りのキャベツ炒め、ねぎ納豆、味噌汁、きゅうりのぬか漬け食べる。ご飯は四分の三合炊いたのだが、食べ過ぎたと思った。
食器を洗い歯を磨くと7時50分になっていた。時間が経つのが早いと感じた。酒を飲まずにいると、色々やってしまうためだ。
自転車で現場へ。珍しく45分以上かかった。
午前中、ツールを使った日常業務を見学する。利用者がボタンを押したとたんエラーが出たので頭を抱える。調べると、エラーの原因はカッコの閉じ忘れだった。直して再びボタンを押してもらうとまたエラー。今度はデータなしの時にかませる関数の書き忘れだった。それも直して、三度目の正直でやっとうまくいった。
昼、ポテトサラダとひじき煮。
『富士』読む。物語は佳境に。
死んだ一条が直訴した宮様が、病院に大量の食料を下賜する。看護士たちは浮かれる。釈放された中里里江は宮様夫人としてふるまい、庭京子や大木戸夫人と衝突する。大島は里江と京子に急所づかみとひっかき攻撃をくらうが、もっとやってくれたまえ、と、気色悪い受難者みたいな感じになる。中里里江は武田百合子を連想させる。宴のような食事時間が過ぎて、岡村少年が煙突に上ったという知らせが入る。前回は必死で助けようとしたのに、今回は皆、上りたいなら上させとけとでも言いたげな気分になっている。
午後、何かやる作業はあるだろうかと考えたが、差し迫ったものは特になかった。データがじゃんじゃん来ないとダメだ。
夕方、サミットで買い物。コーヒーと、ハンバーガー用のパンを買う。
6時半帰宅。昨日買ったコッペパンでホットドッグを作ろうと思い、袋から出してみると、コッペパンではなくミルクフレンチとかいう菓子パンで、裂け目にはあらかじめクリームが挟まれていた。ホットドッグはやめにして、昨日とほぼ同じ野菜で野菜炒めを作って食べた。
『クイーンズ・ギャンビット』三話見る。セリフなしで物語が進行するシーンが多くて嬉しくなる。ベスの里親(っていうのかな)の女性とベスの関係が、簡単に変化しないで、つかず離れずを維持している感じがいい。いずれなにかあるのはわかっているのだけど、物語ではそういうのを急がないのがいい。ハーマンズ・ハーミッツの曲で終わるのもいい。
8時から9時半まで『乗馬』練習。まだつながりが拙い。
『富士』読了。
岡村少年は自分から煙突を下りてきた。彼は鳩を抱えていた。それは大木戸夫人が抱えてきて飛び去った鳩が、岡村少年を救いに飛んでいったように思われ、一条が使わした救いの鳩だと解釈された。しかしその鳩は血だらけになって死んでいた。同じ鳩だろうかと大島は思う。大木戸夫人は鳩を見て卒倒する。人々は大木戸夫人介抱グループと岡村少年介抱グループに分かれる。そこへ憲兵隊がやってくる。職員と患者が区別なく混じって酔態を演じている様を見て火田は激怒し、逮捕すべきは病院側の面々だと少尉は言う。決して喋らなかった岡村少年は、富士が燃えているとつぶやく。そして終章。三十年後、大島は富士山荘へ。飼い犬のポコが死んだエピソード。これは武田百合子が『富士日記』で書いていた、現実のエピソードだ。大島の妻は甘田院長の娘マリちゃん。ポコの死がどんなであったかが書かれ、二人はかつての精神病院を訪問する。そこは職員ストライキの真っ最中だった。見学が終わり、今の院長は大島に、マリの入院を勧めるところで終わる。
圧巻だった。戦争末期には精神が病気でない人々の方がむしろおかしいというふうに思え、ラストの騒ぎは治療する側とされる側が逆転したかのようだった。誰しもされる側になりうる、むしろ、積極的にする側にいる人こそそうであるという構造で、人の心の宿痾が描かれていたように思う。
12時半就寝。