ゆかりの土地へ

バスは寝苦しかった。12時と2時にそれぞれサービスエリア休憩で目を覚ました。4時過ぎの休憩でパンを買って車内で食べ、あとはそのまま起きていた。

夜が明けてもカーテンは締まったままだった。大曲と秋田でほとんどの乗客が降りた。終着の能代まで行くのは自分ともう一人だけだった。カーテンをあけても良かったのだが、マジックテープでしっかり止まっていたので面倒になり、そのままにしておいた。

10時過ぎに能代駅前に着いた。

来たのは学生の時以来だ。
従姉妹の結婚式が秋田であり、出席した翌日伯父の家に寄り、墓参りをして帰ったのだった。

それより前に来たのは小学生の時だった。十一年後の学生時代に訪れた時は、町がものすごく変わったように思えた。
しかし今回は、学生時代から元号ひとつ分も経っているのに、それほど変わったように見えなかった。ただ、全体的に寂れているようには見えた。変わったように見えた方が、町にとってはいいのかもしれない。

駅から少し南に歩いた。図書館があった。バブル期に建てられた図書館だった。そのあたりの区画は市民ホールなどがあり、能代市の文化芸術ブロックになっていた。

11時、『十八番』というラーメン屋へ。開店そうそうなのに満席だった。
醤油ラーメンの並を頼んだ。レモンの小片が浮かんでおり、スープにいいアクセントを与えていた。

食べ終わってから、父のゆかりの場所を歩いた。

納骨をする前、骨壷から骨を小さいタッパーに移し、自宅に持ち帰っていた。以来、毎日そのタッパーを、ポテトフライにフレーバーをまぶす時みたいにシャカシャカ振っていた。タッパーにいっぱい入っていた骨は、かなりの部分が粉末状になり、かさが減っていた。

その、粉末状になった父親を故郷に巻くため能代に来た。散骨ということになる。弔いというより、面白そうだと思ったので実行した。
思いついたのは火葬場で骨を拾った時だった。量が多かったので係の人が「押して詰めてもいいですか」と聞いていたのがおかしかった。そんなに多いなら、全部墓に入れないで、色んなところに撒いたらいいんじゃないか? ねえ? どうだいお父さん?

そういうのを面白がる感覚が父にはあった。DNA的に「あり」と思った。だから、やっておくことにした。

まず、同窓会のネーミング元になっている場所へ行った。その場所を父はメールアカウントにも使用していた。
風向きに気をつけて、自分にとって追い風になるようにして撒いた。粉は風で散り、すぐに何もわからなくなった。100mlにも満たない粉末状ダディのうち、30mlくらいをそこで撒いた。そのくらいの量なら他人に迷惑をかけることはないだろう。

次に、父の母校近くへ行き、校舎を見下ろせる場所の地面に撒いた。
正面入口そばの植え込みにもふたつまみほど撒いた。

最後に、父の実家あたりに撒こうと思い、伯父の家を探したが、家がどのあたりなのかわからなかった。しかし、小学生の時にフィルムを現像に出した写真屋がまだ残っていたので、その通り沿いであろうと判断し、残りの粉末を空き地に撒いた。龍角散にむせて咳をした時に出るくらいの量だった。

粉末にしきれなかった欠片はタッパーに残しておいた。

時刻12時を過ぎていた。

能代に着いた時、蝉の声が全然聞こえなかったのに違和感を覚えたが、昼を過ぎるとあちこちで聞こえるようになっていた。このあたりの蝉は起きるのが遅いらしい。

イオンに入った。

このイオンは、学生時代に来た時にはすでにあった。当時はジャスコで、なんて大きいジャスコなんだろうと思った。しかし、イオンモールが各地にできた今の時代ではむしろ小さい。

エレベーターなど、設備のあちこちが古くなっていた。3階にレストランが入っていたので行ってみたが、ちょっとコーヒーを飲んで一休みできそうな店はなかった。3階フロアのほとんどはゲームコーナーになっており、大量のガチャガチャが置いてあった。

イオンを出て、喫茶店にでも入ろうかと商店街を歩いたが、これといっていい店はなかった。

歩いている途中、巨大竿燈の置き場があった。祭りで使うやつらしい。

結局、コンビニで飲み物を買い、駅に戻った。駅の待合室はクーラーが効いていたので、そこで3時まで休憩した。

壁に秋田美人のポスターが張ってあった。オレの中にいるおばちゃんが反応した。
「うん。まあいいでしょ。あのね、お国言葉で女子会してみなさい。3割増しになるわよ」

午後3時過ぎのリゾートしらかみに乗り、五能線を北上した。五能線に乗るのは初めてだった。

能代駅の売店で買ったビールを飲んだ。5月22日以来の飲酒だった。下戸になっていたらどうしようと思ったが、全然平気だった。

岩館から先は日本海沿いを走っだ。窓の外に海が見えた。県境を過ぎると列車は速度を緩めた。乗客が景色をゆっくり眺められるようにするためらしかった。

深浦で対向電車を待つ時間ができたので、駅を降りて周辺を少し歩いた。暑かった。近くにファミマがあった。ビールを買い足そうか一瞬考えたが、やめた。

5時過ぎ、千畳敷駅で降りた。駅近くの『千畳敷センター』へ。そこで海鮮関係の丼ものを食べてビールを飲み、夕日を見ようと思った。
しかし店は閉まっていた。営業時間は5時までらしかった。

他に店はないかと思いウロウロしていると、向かいの店のばあさんに「イカ焼きあるよー」と声をかけられた。迷ったが、ひとパック買うことにした。

「ここで少し食べてけ」とばあさんが言うので、店の中に入り、冷たいお茶をもらい、イカを食べた。
父の話を少しした。秋田の男は酒飲みだとばあさんが言った。
「あんた東京からけ。嫁さんどうしてんだ」と聞かれたので、「全財産をトランクに詰め、地球の果てまで逃げました」などとごまかした。
するとばあさんは、「あんたいい男なのに」と言った。
もー、うまいんだからお母さん、これ、少ないけど…と、一万円くらい渡そうと財布を見たが、千円しか入っていなかった。

ばあさんに挨拶して店を出た。久しぶりに東北の土地言葉と会話ができて楽しかった。半分くらいしかわからなかったけど。

千畳敷海岸を歩きながら夕日を眺めた。リゾートしらかみにそのまま乗っていたら、夕日の時刻には海沿いを過ぎていたはずだ。海鮮の食事はできなかったが、やはり降りてよかったと思った。

日が沈むと真っ暗になった。明かりは無人駅である千畳敷駅周辺にしかなかった。先週に続き、暗闇づいているなあと思いながら、8時過ぎの最終電車を待った。

8時14分の弘前行きに乗った。リゾート快速ではなく普通列車だ。

車中、持ってきた『小津の余白に』を読んだ。何度か寝落ちしそうになった。

川部で奥羽線に乗り換え、10時55分に青森到着。途中の駅で長く停車したためその時間になった。

夕飯を食べる店を探した。『砂小屋』というラーメン屋がまだやっていた。中に入り、パイタン煮干しラーメンと餃子を頼み、レモンサワーを飲んだ。

23時半にホテルへ。疲れて、シャワーを浴びるのがやっとだった。速攻寝た。