透明感のある試合だった

タイマーが鳴る前に目が覚めた。4時半だった。
あらら、起きちゃったの、ダメだよー、と、萩本欽一風の口調でつぶやき、干しぶどうを食べコーヒーを飲んだ。

ゴミ屑ブログの更新や書き作業、勉学修練をする気力がまったくなかった。ていうか眠かった。なんで起きちゃったんだろうと思った。タイマーを6時半にセットしてまた寝た。

6時半に起き、米を炊き、トマトの水足しをした。端っこの茎を誘引し、赤くなったトマトを一つ収穫した。114個目。

朝飯に、ご飯、茄子のぬか漬け、にんにく搾菜、トマト二つを食べた。

自転車で現場へ。
高田馬場で「雨かな?」と思い、明治通りで「雨だな」になり、目白で「雨じゃんやべえやべえやべえ」になった。雑司ヶ谷方面に向かって坂を上がっている最中にスコールのような降り方になったが、身を隠すものはなく、坂の傾斜がエグいため途中で止まれず、全身ずぶ濡れになってしまったが、護国寺に向かう途中で雨がすっかり上がり、茗荷谷でギンギラギンに晴れて、千石では服が乾いていた。洗車?

午前中、節子ツールの改修。ややこしい処理をするようになっていた部分を見直した。

昼前に、ゴッドツールの修正依頼来る。取り込むデータの置き場が分割されてしまったので、ツールもそれに対応しないといけないとのこと。ずさんなり。

昼、カップ麺。
SQL勉強をちょっとだけする。

午後、節子の調教を続ける。ややこしい処理の整理。
ややこしい処理をしなきゃいけない原因を作った人が、アシスタントの塩氏と話していた。
「塩さんワクチン打った?」
「いえ」
「打った人の近くに行くとヤバイって知ってます?」
打った人から、なんちゃらかんちゃらを介してうつされて、病気になるのが怖い、とかなんとか言っておった。

夕方、西葛西へ。カルディでショートブレッドとタコスチップス買う。
実家へ。ステーキ肉が買ってあったので焼いた。グラム198円の安肉だったが、分厚くなかったため火の通りがうまくいき、まあまあ美味しく焼けた。

8時半、サッカーの日本対スペイン戦を見る。音声は絞った。
『あのスペイン』という言い方をするのは、恐れる旧世代人種たちだけなのだろうか、選手達は、呑まれることなく、そこにある戦いをただ戦っていた。戦意はあっても敵意はなく、両チーム選手の透徹した意志と意志が、一切の夾雑物なしにぶつかり合っていた。

美しかった。サッカー日本代表来試合で、美しいと感じたのは初めてだった。サッカーとして、ではなく、団体競技であるはずのサッカーなのに、みんながそれぞれ『個』に立ち返り、無垢な存在になって再び集ったような、独特の清澄さがあった。

もちろん、試合であるから、見ていると、身を乗り出したり、声を出してしまったりしたけれども、基本的には祈りに近い気持ちで見守ることができた。勝利を祈るのでは、もちろんない。神事であるオリンピックの、供物としての競技を見ながら、民の安寧と流行病の平癒を祈っていた。
試合は延長となった。延長の後半、残り5分になってとうとう日本は1点を入れられた。まるで句点のように感じられた。この試合で勝利者を名乗る資格は、さすがにまだ日本にはないという印のようだった。それまで、固く固く守ってきたディフェンスの間にできた針の穴みたいなトンネルを通り抜けていくようなシュートだった。ああいうシュートで負けることは恥ではない。悔しさを感じることと、恥辱を感じることを混同してはいけない。

試合が終わってから、しばらくボーッとしてしまった。なんであんなにきれいだったのだろう。
サッカーコートしかない無人島があり、そこに、なぜか日本代表とスペイン代表が難破して流れ着き、おれらにできることっていったらサッカーしかないから、ここで決着つけようぜということで行われた試合を、もしも先に無人島に流れ着いていたサッカーファンが見ることができたら、究極の贅沢だと思うが、今夜の試合はそれに近い感じで行われた試合だったと思う。この試合をいつものサッカー評で語っても意味がないと思う。何も言わない方が絶対いい。

しかし、選手達は、いつもと変わらずただ、プレイをしただけなのかもしれない。今さら『美しい』とか言われなくても、もともと知ってたのかもしれない。その片鱗を覗くことができたという今夜のこの価値を伝えるための手段と方法論が、要するに、イベント実行する側にはないのだ。というより、その手段を持ちようもないのだ。

12時過ぎ就寝。