『青い月曜日』読了

4時20分起き。コーヒーを飲み、編み込み作業を少しする。たくさんあった編み込み用の糸がだんだん少なくなっていくのを楽しむ。

6時から二度寝。体の芯に眠気が居座っているような感じがあった。

7時20分に起きる。小雨が降っていた。7時半に家を出る。電車で現場へ。外は寒かった。

自転車ならグローブとネックウォーマー必須だったろう。

『存在と時間』5巻読む。
昨日か一昨日あたりから、なぜか頭にすいすい入ってくるようになった。読んでいる箇所は不安について。不安は現存在を頽落から本来の自己へ戻す働きがあるとかいう説明のところ。

午前中、別ツールを見ていて気がついたことをメール。その後、秀子で、昨日やったデータ移動に関わる修正。

昼、照焼チキン、レタスサラダ、カップヌードルの胡椒がきいたやつ。

夕方、てょ氏の依頼を15分居残ってやる。

神田へ。6時20分に歯医者で定期健診。ルッカ先生ではなく別の先生に代わっていた。歯茎が健康だと言われた。次回は7月。今までで一番間隔があいた。

いなげやで買い物。8時過ぎ帰宅。

夕食にチキンナゲットとピーナッツ食べる。ナゲットソースのマスタードを自作するが、やはり家庭の冷蔵庫にある調味料を混ぜただけだと無理がある。

開高健『青い月曜日』読了。
戦中から戦後、十代から二十代の日々を描いた、自伝的小説である。青春小説であると言いたくなった。なぜなら、著者が滅形を感じずにはいられない様子が、青春の形のある面と類似していると思ったからである。
ただ、開高健は基本的に滅形を感じやすい心理構造を持っていたのではないかと思う。戦争があってもなくても、家が貧しくても金持ちでも、彼が青春を味わう感じ方にそれほど違いはなかったのではないか。
ラスト近くで詩を書く女とできちゃった婚をすることになっても、ことさらしくじったようには思えない。安定の滅形感覚はあるが、現実的事実の方が強いから押し流されるしかない。そのくらいのショック療法をしたおかげで、人生が動いたんじゃないっすか先輩? と思ってしまった。
妊娠してから出産するまでの『女』の実行力と落ち着きは大したものであった。『夏の闇』に出てくる自家製ピザ女よりも、この『女』は数段したたかで、男と一緒に下降などしない。

女はいうまでもなく牧羊子夫人をさしている、かのようであるが、そのあたりのドキュメンタリー事情については、開高健本人ではなく友人知人が色々書いている。ただし、読んでもあまり良い気分はしないことが多い。それに比べると、著者本人が本作でさらけ出した青春の実像は、本当のことを書いてるなあという気持ちにさせるから、イヤな気持ちはしない。それも小説家のテクニックなのだろうか。