『釣れず』に行った

4時起き。
自転車でタロー軒へ行き、カレーと半ラーメンのセットを食べた。

家に帰り二度寝し、7時に起きる。

自転車で中野。電車で現場へ。

スクレイピング関連の報告文をまとめ、チャットに投稿する。午前中にやったことはそれだけ。さいきん、フロアにいる人の数が減ったような気がする。全体的に暇になったのか。

昼、『ふくの鳥』でチキン南蛮セット。味噌汁ではなく鶏ガラスープがついてくるのが嬉しい。カレーライスはおかわり自由らしい。

午後、暇。

『なぜ世界は存在しないのか』読み始める。

一昨年から隣にいた同僚からメールが来る。本日が現場最終日とのこと。
気分が不安定な人だったので、雑な現場にいることのストレスは大変だったろうと思いつつ、きっちりした現場だと返って不安定な人にはストレスフルなのかもしれないとも思った。
お疲れ様でしたと返信する。

夕方西葛西へ。6時、実家帰宅。ベランダのひまわりと柿に水をやる。
夕食に焼きそばと果物類食べる。

7時、旧江戸川へ。浦安橋近くで釣りをする。周囲にアングラーはいなかった。南風が吹いていて波が立っていた。満潮時刻が6時台なので下げ始める頃合いだった。

風と波があるのでライキリを投げ、ダートを繰り返した。アタリなし。少し南に移動し同じことをするもアタリなし。

ワンドの南側に移動。途中、アングラーを二人見かけた。

工事フェンス近くでルアーを替える。エクスセンス クー100F、ローリングベイト55、K太、スーサン、サスケSS、マニック、アイアンマスターを投げる。アタリなし。ボイルは一回か二回見たが、音だけで目では確認できず。
9時半まで粘って帰宅。

母とペットの話をする。親兄弟は全員、動物がダメだったと母はいう。しかし、中学生まで富山に住んでいた頃は、犬や鶏を飼っていたりしていたんじゃないかと聞くと、覚えていないという。

しかし、オレが3歳の頃に住んでいた家の隣にはかりんとう工場があり、入り口にはよく吠える犬が繋がれていた。母はよくそこでかりんとうを買っていたのだが、吠える犬など全然気にせずあしらっていた。別段、飼いたいと思うわけではないが、ことさら苦手という感じではなかった。

動物がダメになったのは、後天的に身についた資質だろう。キムチが嫌いになったのと同じだ。キムチも、昔は我が家の食卓によく出ていたが、2001年前後を境に母はキムチが食べられなくなった。大久保の路上でキムチを仕込んでいる人を見たのがきっかけらしい。そういうのは、誰にでもあることだから仕方ない。

ただ、そうやって後天的に嫌いになったことを、生来のことであるかのように思いこみ、記憶を再編成し、さらに、自分のその資質をより一層強めるような喋り方を母はよくする。「猫なんか、ぜっっっったい触れない!」とか。昔、ゴキブリが出たら裸足で踏んでティッシュで拭いて捨ててた人なのに。

釣りの反省をして、12時過ぎ就寝。