厳しさの取扱い熟練度

4時起き。

トマトの葉がすごい勢いで成長しているせいか、最近蚊が増えた。二の腕のあちこちを刺されたので、昨夜『フレディ』を2台出し、ドラッグストアで90日分の薬液を買ってきてセットし、寝室とPC部屋に置いた。

フレディとは電源式蚊取り器のことである。十数年前から使っている。フレディは商品名ではなく、勝手にそう名付けている。

初めて使った時、スイッチを入れて数分後に、蛍光灯くらいの高さを飛んでいた蚊が旋回しながら床に落下していくのを見て、フレディ・マーキュリーがコンサートで観客にするコールの一番声を伸ばすやつを聞きながら落ちているみたいに見えた。Ayyyyyyyyyyyyyyyy-oh! ってやつね。

以来、その『アースノーマット』のことを、フレディと呼んでいる。

自分だけの呼び名は、他にもある。

『自主バーガー』
自分で作ったハンバーガーのこと。ハンバーガー用のパンは売っている店が少ないため、まず店を探すという行為が必要で、その敷居の高さゆえに、能動的な響きのある「自主」という言葉を頭につけた。ホットドッグなどはそれ用のパンを見つけるのがわりと容易なので「自主」をつけるに値しない。ホットドッグは好きだが、それとこれとは別である。

『バカケーキ』
ロールケーキのことだが、美味しいケーキ屋で売られているようなものではなく、昔、ダイエーとか忠実屋とかそういったスーパーでひと巻き100円で売られていた、安スポンジケーキを似非クリームでのの字に巻いたもののこと。バカ小学生男子がファミコンでハドソンのアクションゲームとかやりながらおやつに食べるのにぴったりと思ったのでそう名付けた。

『オーロラ』
ぷよぷよなどの落ちゲーで、意図していないのに多重連鎖ができたことをいう。NHKの連ドラ『ふたりっ子』で、河合美智子演じたオーロラ輝子の歌が思いがけずヒットし、紅白出場まで果たしたことが元ネタ。プレイ中、5連鎖を仕掛けたつもりが思いがけず8連鎖した時などに「今、オーロラ出たよ」と使ったり、対戦モードで相手の連鎖がエグい時などに「マジかよ、これ、オーロラ?」と使ったりした。

他にもあるような気がするが、思い出したのはこれだけ。

水耕栽培の水補給をする。バケツ2杯で予備タンクがちょうどいっぱいになった。

7時45分に家を出る。

午前中、ストーン氏からメールの返信がきていたので、該当する作業をした。あとは暇だった。
昼過ぎ、バラモンさんからトラブル対応の依頼を受けた。確認してみたが特におかしいところはなかった。ネットワークかサーバーの負荷が原因と思った。

昼、Loftで買い物。

午後、ヒマ。
考え事をする以外、やることがなかった。

昨今のコーチング事情について考えた。
「厳しくすると若い人はついていかない」という意見には、勘違いが潜んでいると思う。まず、そのような言葉を使う人それぞれの世代によって、厳しさの基準は異なっている。過去最も厳しかった時代を、戦前の昭和10年代だとしてみると、それから80年以上かけて、厳しさは経年的に緩和され続けてきた。1960年の厳しさと1990年の厳しさは同じではない。
時代が厳しくなくなっていくと、厳しさの取扱者が減少するという問題がある。
あることを学ぶために必要な厳しさがあるとする。本人が自前でその厳しさに気づき、立ち向かおうとしていくのであればよいが、第三者が厳しさの存在を気づかせた方が能率的な場合がある。その場合、第三者は学ぶ者に対して厳しく教えるわけだが、この時、第三者の、厳しさを取り扱う熟練度が低い時、その厳しさがパワハラになったりいじめになったりする。

佐山悟がシューティングを主宰していた頃、テレビで合宿の風景が放送されたことがあった。日頃はニコニコして愛想の良い佐山が鬼のようになって生徒を殴り、カメラクルーまで怒鳴りつける映像は、2000年代途中あたりからインターネット上で拡散され、よく知られるところとなった。
動画が出回り始めた頃は、暴力的な指導法に対する非難がましい感想を述べる人が多かった。ところがこの映像、消されても消されても誰かが再アップされる形で現在もネット上に存在しており、最近では肯定的なコメントまで散見されるようになった。
実際、この動画は不思議な中毒性がある。冒頭、サンドバッグにキックを入れる生徒に対し、「思い切り蹴ってみ」と佐山は言う。何度か蹴らせた後、「オレが思いっきりって言ったら思いっきり蹴らないと」と言い始めてから不穏な空気が流れはじめ、「なめてんのか?」からビンタ一閃。その生徒は必死になって蹴るがまだ足りず、「思いっきりかそれが」とまたビンタ。生徒は死に物狂いになり、明らかに最初の時とは違った音を立ててサンドバッグを蹴る。それを見て佐山は、「これさあ、みんな、自分でやって欲しいの」と全員に言う。アドレナリンを自分で出してくれ、ということだ。
佐山にこんなふうに迫られたら、命の危険を覚えるだろう。そうなればアドレナリンは出まくる。そういうのも『技術のうち」と佐山は全員に説明する。実に効率的だ。「なめてんのか」からここまで、無駄な時間がほとんどない。いじめ、とうそういうレベルを超えた怖さがあるけど。

一方、同時期にネットで拡散されたコンテンツに、前田日明による坂田シバキ映像というのがあった。不甲斐ない試合をした後、インタビューを受けている坂田を前田が襲撃し、カメラの前でボッコボコにするのだが、カメラの前だからあえてきつめにシバいている感じもあった。当時そのままWOWOWで放送されたのは、現場と視聴者の間に、格闘技団体のバックステージとはそういうものだという同意があるのだろうとWOWOWが思い込んだからではないか。確かに、リングスのプロレス的部分の発露ではあったが、確信犯的にしごきを見せているという構造の方が人にヤバイと思わせる力が強いのか、最近とんとこの映像を見かけなくなった。

オレも小学三年生の時にいじめられたが、クラス全員に嫌われる状態になったのをいじめと解釈していただけなので、いじめというのとはちょっと違う。なぜ嫌われたのかというと、自分にはそういう要素があったとしか言えない。今でもある。ただ、気がついたので、気をつけることができるようになった。だからいじめられなくなった。そしてこのことは決して、空気を読むということではなかった。だから良かったのだ。おそらく、自分嫌いになったことで、その要素を対象化できたことが、結果的に功を奏したのだと思う。

好きになるのはすべてが前で、嫌いになるのはすべてが悪というわけではないのではないか。正しく嫌う、という嫌い方もあるのではないか。そう信じて、自分を嫌いたい。

6時半帰宅。
ラジコでヤクルト中日戦聞く。ラジコのエリアフリーで、山田久志さんが解説している番組を聞いた。試合は延長となり、ドラゴンズが三ツ俣のヒットでサヨナラ勝ちした。覇者ヤクルトの連勝は8で止まった。

10時過ぎ就寝。

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