変わる時代と変わらぬ演劇

7時半過ぎ起き。

『東風』『波のアラベスク』を練習する。

10時、稽古場へ。小笠原土産を配る。先生から色々聞かれる。「ヘビがいないので、森の中とか入っても怖くないんです」と話した。

『東風』は、まだ全体の半分にもいっていない。「焦らずにね」と言われてはいるが、個人的には、ちょっともたもたしているなあという自覚がある。

11時帰宅。昼飯に、スパゲッティを茹で、冷凍していたトマトとにんにく味噌で味付けして食べた。茹でたあとの湯切りに大失敗し、水分を飛ばすため、余計な時間がかかってしまった。

昼3時、図書館へ。予約した本を借りる。ここ一年ほどは、借りた本を受け取るのに和田サービスを利用していたので、図書館で借りるのは久しぶりだった。久しぶりなのに、利用についてのアンケートに協力を求められた。ま、テキトーに答えた。

サミットで、茄子、ほうれん草、コーラ、ビール、うすやきせんべい買う。

夕方、5時半に家を出る。外は小雨が降っていたので、折りたたみ傘をさした。

唐組『透明人間』を見に、新宿花園神社へ。

前売りチケットを整理券に交換する。かなり後の番号になってしまった。もっと早く来ればよかった。

6時半から番号順に入場する。案の定、桟敷席の後ろの方だったが、舞台はわりとよく見えた。

7時開演。舞台は居酒屋の2階とおぼしき空間。上手に浴槽みたいなものがあり、下手には小上がりのような空間をふすまが隔てている。

唐組を見るのは四年ぶり。今回も藤井由紀さまがいつ出てくるのかを楽しみにしつつ、この四年で若手俳優が、唐十郎の言葉を発することによって、着実に育っていることに驚く。毎回そうだ。唐さんの紡いだ台詞の、ひとつひとつの言葉が、役者の滋養となっていることは間違いない。

田口、課長、白川、マサヤ役の役者さんがすごく良かった。ああいう風に芝居がしたい、と、羨ましく思うような言い方で、台詞を喋っていた。

途中休憩では、立ち上がって体を伸ばすお客さんがとても多かった。

藤井由紀さまは、モモ似の女を演じていた。ジャパゆきさんみたいな設定の女である。この作品が初演されたのが1990年の秋。つまり、バブルまっただ中の時代なのだ。しかし、描かれている唐さんの世界観は、1960年代から変わっていない。

ゆえに、1990年頃の唐組芝居は、時代からは浮いているように見えた。ところが、それから三年ほどで、むしろ時代の方が唐組にフィックスするような展開になっていく。唐組が変わったわけではない。バブルが崩壊し、時代が変わったのだ。

そして今日の舞台も、何十年前に初めて見た唐組芝居とは、根本的に何も変わっていなかった。そのブレなさは、世の中が変化した時ほど、人々を惹きつけるのではないか。

たとえば、今がまさにそうだ。

ラスト、女に引きずりこまれるように、浴槽に沈んでいく田口を見て、呆然となった。この感じを得たかったんだ、と思った。

カーテンコールの最後に、演出の久保井さんが、唐十郎の名をコールした。客席後方で椅子に座ったお客さんがいるなあと思っていたのだが、それが唐さんだった。多くの拍手が唐さんに向けられた。唐さんはちょっと立ち上がって、礼を返してくれた。

9時半帰宅。

シャワーを浴びる。

夕食に、きのこご飯、ほうれん草と豚肉の味噌汁、切り干し大根食べる。ご飯を炊く時の水が多かった。

ビールを飲み、Youtube で釣り動画を見る。高橋優介くんの動画に小沼正弥さんがまた出ていた。三度目らしいが、毎回釣れないで終わるのがなぜか楽しい。また、高橋くんと絡むときの小沼さんがリラックスして楽しそうなのがとてもいい。

気がつくとけっこう時間が経っていた。けっこうどころか、朝の4時を過ぎていた。伝記をつけると窓の外がうっすら明るくなりかけていた。日の出から逃げるように就寝。