外寝床と船寝床

深夜の沼津に放り出され、途方に暮れたかというと、そうでもない。懐かしの『あの感覚』だなあと思った。宿無し感覚だ。

駅前バス停ベンチでさっそく横になっている青春18トラベラーがいた。しかし、そこで寝ていると駅員から突っ込みが入りそうだと思った。こっちは悪くないのに。

でも青春18はそういう切符だ。遅延の可能性も込みで安さを享受するものだ。下級国民どもはそのへんちゃんと覚悟して買えよ、ということだ。

駅前のファミマで秋味とおにぎりを買った。お釣りでコインロッカー用の小銭を確保し、カートをロッカーに入れた。カートの寝床は確保した。

カート所有者であるオレの寝床はまだだった。

とりあえず、南口の大通りを歩き、地図に表示されている公園に向かった。ベンチくらいあるはずだ。

行ってみると、ベンチはあったが、真ん中に野宿防止用のセパレーターが刺さっていた。

セパレーターは一つだったので、ベンチの長さは半分になっていた。二つだったら座るスペースは三分の一だったろう。半分なら下半身の膝を立てればなんとか横になれそうだった。

ビールを飲み、おにぎりを食べてから、ベンチの半分を使って横になってみた。頭はベンチにギリギリ乗った状態になったが、リュックを枕にするゆとりはなかった。

それでも、その体勢で、ひとウトウトくらいした。

首が痛くなってきたので起き、もう少しマシな場所はないか考えてみた。

そして、先月末、沼津を訪れたとき、露店で買ったお好み焼きを座って食べた場所を思い出した。あそこならもっと楽に寝られそうだ。

商店街の一角にある、低い塀のところへ移動した。深夜で誰もおらず、歩道からその場所は暗がりにあるため、目立たなかった。

横になってみた。長さは申し分なかったが、幅が案外狭く、仰向けになると体のバランスをとるのが難しかった。しかし、公園のハーフベンチよりも寝心地は良く、ウトウトを超えて、うつらうつらするくらい寝ることができた。

うつらうつらしてから時計を見ると、3時を過ぎていた。

北口に出てコンビニを覗いた。イートインがあれば時間が潰せると思ったのだが、深夜なので閉鎖されていた。

駅前の自販機でセブンティーンアイスのぶどうシャーベットを買った。それを食べ、再び南口に戻ると、4時を過ぎていた。始発まで1時間もなかった。

ロッカーからカートを出し、コンビニで朝飯用のパンと麦茶を買った。

駅前広場のベンチに座り、改札が開くのを待っていると、女子旅行者がやってきて、Suicaは使えるかと聞いてきた。沼津はJR東海だから使えないと答えた。

4時40分に改札が開いた。ホームに上り、始発を待った。

4時56分の静岡行きに乗る。冷房が効きすぎて寒かった。

静岡で浜松行きに乗り換え、浜松で豊橋行きに乗り換え、豊橋で大垣行きに乗り換えた。その間、足りない睡眠時間を回復した。大垣行きの車両は、たぶん以前は特急列車で運用されていたものらしく、座席はクロスシートだった。

大垣で米原行きに乗り換えるまで、20分くらい時間があいた。9時を過ぎていた。野宿のウトウトとうつらうつらに、そこまでの車内仮眠を足して、とりあえず睡眠時間は確保できていた。

米原で新快速に乗り換え、大阪で環状線に乗り換え、天満で降りた。11時47分だった。もし昨夜浜松に泊まっていたら、今朝は名古屋でいったん降りて、喫茶店のモーニングを朝飯に食べるつもりだった。ノンストップで大阪まで来ることで、その予定時刻には追いついた。

カートを入れるコインロッカーを探した。

天満橋筋商店街沿いのコインロッカーを使おうとしたら、カートをしまうのに奥行きが足りなかった。

天満駅まで戻り、駅のロッカーにカートをしまった。そのあたりで時刻は正午を過ぎた。

ふたたび天満橋筋商店街を歩く。お好み焼き屋『双月』でお昼を食べるつもりだった。しかし、店はシャッターが閉まっていた。張り紙もなかった。Google Mapでは営業中となっているのに。

仕方ないので、別のお好み焼き店を検索した。天満駅の北に『官平』という店があった。なかなか美味しいらしかった。

行ってみた。

立ち飲み屋が並ぶ魅力的な路地を抜けると、天満市場の北側にその店はあった。混んでいるかと心配したが、客は一人しかいなかった。

ビールと、お好み焼きのイカ豚ミックスを頼んだ。厨房で店主が焼き、それをテーブルの鉄板に持ってきてくれるシステムだった。

お好み焼きは当然のように旨かった。ちょっと食い足りないというところで会計をした。

続けて斜向かいにある『吉備』といううどん屋に入り、もち天うどんとミニカツ丼を頼んだ。もち天うどんは、あっさり出汁のうどんに、もちの天ぷらと海老の天ぷら、かしわ、お揚げなどが乗っているものだった。ミニカツ丼は薄い豚肉を揚げたカツとご飯を半熟気味にとじ、つゆだくにしたものだった。どちらも旨かった。

さすがに腹いっぱいになった。

天満橋筋商店街を南へ歩き、南森町の『中村屋』でコロッケとメンチカツを二つずつ買った。

南森町から地下鉄で恵美須町に移動した。

地上に出て、目の前にそびえる通天閣の写真を撮った時、雷の音が聞こえた。通天閣の背後には、一点にわかにかき曇り、といった感じに、厚い雲が立ちこめていた。

雨雲レーダーを見ると、南から次から次へと雨雲がやってくる段取りになっていた。やりすごせるレベルではない。

一心寺に向かった。田和君のお骨が納骨堂に収められているので、お参りし、線香とお花を供えようと思っていたのだが、雨がだんだん強くなってきて、お寺の入り口に来たときには雷の音も近くなっていた。

これではお参りするのは無理だろうと思い、お寺の外から手を合わせた。場所は覚えたからまた来ればいい。

天王寺駅まで走った。アーケードの下に入った直後、雨は土砂降りになった。ちょっとでも遅れたらずぶ濡れになるところだった。

環状線で天満へ。途中、駅に停車している時、すぐ近くに雷が落ちて、ものすごい音がした。

天満のコインロッカーからカートを出し、再び環状線に乗り、弁天町へ。そこから地下鉄でフェリーターミナルへ。

フェリーターミナル駅に着いた頃には、雨はやんでいた。時刻は3時40分過ぎだった。

大阪南港フェリーターミナルへ行き、待合室でフェリーの乗船時刻を待った。4時が乗船開始だったので、すぐに乗れた。

船室に荷物を置き、展望風呂へ。とにかく早く風呂に入りたかった。本当は出船してから、明石の海などを眺めながらゆっくり入るのが醍醐味らしかったが、オレ以外にも先に風呂に入ろうと思った乗客はけっこう多くいて、風呂は混んでいた。

風呂から出て少しすると船は出港した。大阪発新門司行き。到着は明日の明け方となる。それまで、船が今夜の宿というわけだ。

夕食はバイキング形式だったが、こういうフェリーの食事は大したものではないし、昼に沢山食べたから、夜はなしにした。酒の肴として買ったコロッケとメンチカツがあれば十分だった。

ベッドで、ビールを飲みながら、中村屋のコロッケを食べた。コロッケは驚くほど甘かった。

11時半頃就寝。