夏の終わりのハゼ釣りだ

7時半起き。朝飯に、ご飯、めざし、納豆。

9時、ハゼ釣りに行く。どこに行こうか、昨日から延々迷っていたが、行ったことのない場所へ行ってみることに決め、新川の荒川側にある水門に向かった。

葛西中央通りを北に向かい、新川にぶつかってから左に曲がり、川沿いに走った。途中、柵にもたれながら釣りをする人を見かけた。

水門のところには誰もいなかった。ハゼ釣りの支度をし、橋の影にエサを投げ入れる。水深は思っていたよりもあり、リールのベイルを起こして糸を送らねばならなかった。

アタリは、頻繁にはなかったが、あるにはあった。水深はあり、流れもあるのに、橋の影の方が魚はいた。

40分ほど釣りをして、5匹のマハゼを釣ったが、ここで粘っても数は釣れないだろうなあと思った。

で、ポイントを替えることにした。

新川に来る前、迷っていたのは、旧江戸川の河口に行くか、浦安の境川に行くかだった。境川はたぶん絶対に釣れるだろうと思った。旧江戸川はわからなかった。距離は旧江戸の方が近い。Youtubeでハゼ釣り動画を上げているひともいて、サイズもなかなか良かった。

新川沿いを旧江戸川に向かって走りながら、どうしようかと考えた。新川で釣りする人は、西側に固まっているようで、環七より東側に釣り人はいなかった。旧江戸川の水門からは、川の水が新川に勢いよく流れ込んでいた。たぶん、シーバス、クロダイ、ボラなどもたくさん入り込んでいるだろうと思った。

旧江戸川沿いの道を南下しながら、浦安橋の近くまで来たのだから、このまま渡ってしまった方がいいという気になった。浦安橋から旧江戸河口までは結構距離があるし、その距離分、浦安側を走ったら、境川河口に着くのではないかとも思った。

で、浦安橋を渡り、境川に沿って走った。

途中、浦安の古い商店街を通り抜けた。『青べか物語』の頃からあるエリアだろう。

河口に着くと、釣り人はまったくいなかった。ハゼ釣りシーズンのはずなのに不思議だった。

縮めていたロッドを伸ばし、エサをつけた。青イソメは大分弱っていた。暑さのせいかもしれない。

エサを投げ入れると、早速アタリがあり、あっけなくハゼが釣れた。やはり、ハゼ釣りをするならここだなあと改めて思った。

その後、エサのつけ方がまずくてのらない時がたまにあったが、おおむね、釣れ続けるという感じで推移した。そのうち、時刻が12時を過ぎたので、エサはまだ余っていたが、いい加減納竿することにした。

1時前に実家帰宅。片付けをしてからハゼをさばいた。今日は、クーラーボックスに水はいれず、保冷剤のみにしていた。そのためか、冷えが持続しており、ハゼの鮮度はとても良かった。

たくさん釣ったと思ったが、25尾しかいなかった。新川で5尾釣ったのは覚えている。境川で20尾。でも、続けていたら40くらいは簡単にいっただろう。

ハゼをさばいてから水のシャワーを浴び、アコレへ行きビールと冷凍ポテトフライを買ってきた。

サラダ油を温め、まずポテトフライを揚げてから、ハゼをバッター液につけて揚げた。

ビールをあけ、ポテトフライとハゼの唐揚げを食べた。さばく時、腹びれを断つようにしたので、食感が良くなっていた。

夕方6時過ぎ、実家を出る。

中野からLUUPで7時過ぎ帰宅。

昔の江戸川区の写真をネットで調べていると、不動産屋のサイトに、昭和40年代の葛西駅周辺の写真がアップされていた。北口付近の広場に乳牛が写っているのには驚いた。半農半漁の町だったことは知っているが、牧場があったのは知らなかった。昭和44年には閉業したらしいが、いつからいつまでやっていたのだろう。江戸川区南部の歴史には謎が多く、史料も乏しい。