大鹿歌舞伎を見た

起きると5時半になっていた。少し寒かった。昨日、寝る前の気温は10度だった。

外はまだ薄暗かった。雨はまだ降っていた。スマホで周辺の地図を調べ、コンビニを探した。すぐ近くにセブンイレブンがあった。

目的地の大鹿村までかかる時間をナビで調べると、一般道で1時間50分ほどだった。8時前には着きたかった。眠気も残っていなかったので、出発することにした。

セブンイレブンに寄り、ビニール傘とおにぎりを買った。腹はまだ減っていなかった。

茅野から国道152号線で大鹿村に向かう。車内のエアコンを暖房にした。雨が降っていなかったら、途中、いくつかのポイントで下りて、写真など撮ったと思う。

スマホで、平成時代の懐メロを再生し、歌いながら運転した。自分で編集したリストだが、ミスチルが3曲も入っているのが我ながら意外だった。

7時40分頃、大鹿村に着いた。村のサイトには、今日の大鹿歌舞伎は雨天のため会場を大鹿中学校体育館に変更するという情報が載っていた。

観客用の臨時駐車場がいくつか用意されていたので、その一つに車を止めた。先に止まっていたのは一台だけだった。

下りて、中学校に向かった。体育館で8時から整理券を配る予定になっていたが、過ぎたからといって席がなくなることはないと思った。

駐車スペースから中学校まで1キロほどあった。入口近くに車が何台か止まっていた。整理券をもらってから駐車場に移動するのだろう。しまった、その手があったか、と思った。

体育館の中に入る。整理券はどこでもらうのかと思い、うろうろしたが、どうやら会場前の席取り用に配るものだったらしく、8時を過ぎると来た順に空いたスペースに場所をとって良いらしかった。

スペースはたっぷりあいていた。万が一、演目が長すぎて夕方4時を過ぎそうになったら、途中で出ないといけないため、花道沿いにクッションを敷き、そこに座った。

開演時間は12時だった。座ったのが8時半頃だった。3時間半も座って待つのはいくらなんでもキツイと思ったが、外を歩こうにも雨はやむ気配がなかった。

会場に臨時Wi-Fiが開設され、ネットがサクサク見られるようになったので、雨雲レーダーを調べた。伊那あたりは10時くらいから雨がやむようだった。

とりあえず、雨がやむまでは、もらったパンフレットを読んだり、会場販売のたこ焼きを買って食べたりした。現場を仕切っている初老の男性は、役場の人なのかどうかわからないが、非常に慣れた様子だった。口調が気さくなのが良かった。

準備は、のんびりとした様子で、しかし着々と進んでいた。芝居の仕込みというより、村祭りの準備という感じだった。座って待っているうちに、その雰囲気に飲み込まれ、とろりとしたいい気分になっていった。日本酒があれば飲みたかった。飲んで待つのが正しい待ち方だったろう。運転がなければ飲んでいた。でも、飲まなくても、飲んだかのような気分だった。

10時半を過ぎた頃、雨が小降りになったのを見計らって、一眼レフを持って外に出た。歩いているうちに雨はやんだ。

市場神社舞台に行ってみた。

何台か止まっている車は、雨天時の道具運搬に使った車両だろうか。神社にはお参りする人がいた。時間をかけて丁寧に祈っていた。もしかすると、本日の歌舞伎が無事に上演できますようにと祈っているのかもしれないと思い、後ろに並ぶのは控え、礼だけをして神社を出た。

写真を撮りながら散策し、塩の里観光案内所で土産物を眺めた。山塩羊羹を買った。駐車場まで行き、ビニール傘と羊羹を車の中に置き、中学校に戻った。戻った時には開演30分前を切っていた。

開演前に、大鹿中学校の生徒達による、大鹿歌舞伎解説の小芝居があった。女の子達が、ほんのりギャグを入れつつ、おひねりの投げ方など色々なことを説明した。終わると全員、ぽてぽて歩いてはけていくのが、大変かわいかった。

12時に開演。最初の演目は、『傾城阿波乃鳴門 巡礼歌の段』
生き別れた両親と会うため、巡礼の旅をしているお鶴。その子に会ったお弓は、まさに我が子と気づくも、今は罪人の身となっているため、名乗ってお鶴に累が及ばないよう、自分が母であるとは名乗らず、おうちに帰りなさいと諭す話。

お鶴を演じたのは、村の女の子(なのか?)だった。八歳だという。なんともいとけなく、おひねりがその子めがけて乱れ飛んでいた。終演後、キャットウォークをママさんと一緒に歩いているのを観客に発見され、拍手を浴びていた。

次の演目は『六千両後日文章 重忠館の段』

これは、映画『大鹿村騒動記』でも取り上げられていた演目だった。この映画を見て、大鹿歌舞伎を見てみたいと思った。今年、満を持して、制限なしの開催となったので、結構前からスケジュール登録していた。しかし、旅程をどうするのかなかなか決めかね、行くと決めたのはなんと一昨日だった。

映画では、景清を原田芳雄、道柴を大楠道代、重忠を石橋蓮司が演じた。何回も観たので、そのことが予備知識となっており、今日、生で舞台を見ても、ストーリーについて行けなくなることはなかった。むしろ、映画で観た場面が演じられると、臨場感が増した。

そして、雨で市場神社の舞台が使えなかったのは、本当に残念だと思った。回り舞台で観たかった。

2時間近い演目で、前に座っている男性が、腰や足のしびれからか、五秒に一回ペースで体の位置を動かしていた。その都度、舞台が隠れて見えなくなるので、合わせてオレも動かないといけなくなった。それがちょっとストレスだった。

しかし、肉離れをしてから、毎日熱心に両足のストレッチをしているためか、いつもならすぐに足が痺れる胡座の体勢が、今日は苦にならなかった。

終演後、舞台に並んだ出演者一同と一緒に、おシャシャのシャン! で手打ちをした。

時刻は3時20分になっていた。体育館を出て駐車場に向かった。車の返却期限が夜の8時になっていた。帰りは高速を使うので、来た時よりは早く帰れるだろうが、渋滞の要素もあるので、4時間以上は確保しておきたかった。演目の途中で出ずに済んだので、まずは良かったと思った。

駐車場には3時半頃着いた。ナビを返却店舗近くのスタンドにセットし、松川インターチェンジに向かった。ガソリンの残量が半分ほどになっていたので、インターチェンジ入口のスタンドで補充するつもりだった。

しかし、入口のスタンドは、まさかの休業日だった。ガス残量は半分を切っていた。

脇道に入り、Uターンし、来た道を戻り、インターチェンジから2キロほど離れたENEOSのスタンドで満タンにした。そこから松川インターに戻り、中央道に入ったのは4時20分頃だった。20分くらいロスした。

しばらく順調に走行したが、双葉ジャンクションの手前で工事の渋滞があった。車線が一車線になるための渋滞だった。ナビの到着予定時刻は夜7時40分となっていたが、渋滞のためどんどん遅くなるんじゃないかと思い、気がせいた。

しかし、工事区間を抜けるとすぐに車は流れた。そこから先は再び順調な走行が維持できた。

大月を過ぎてから再び渋滞があった。今度のは混雑によるものと思われた。双葉の渋滞と違い、遅くても動く渋滞だったので、一度、ブレーキを踏み損ないそうになった。危なかった。

小仏トンネルで渋滞は解消された。

高井戸で高速を降り、ガソリンを入れ、車を返却したのは7時50分だった。ギリギリセーフ。

井の頭線で永福町へ。止めていた自転車が雨に濡れていた。

8時半帰宅。昼前に客席でおにぎりを二つ食べただけだったので、腹が空いていた。

ドラッグストアへ行き、豆腐、缶サワー、ワインを買った。

久しぶりに浴槽で湯を沸かし、湯船につかった。

小松菜、豚肉、豆腐で、簡単な水炊きを作った。

水炊きを食べながら、映画『大鹿村騒動記』を見直した。さっきまでいた大鹿村が、美しい映像で撮られていた。何回も見た映画だが、岸部一徳さんの体当たり演技には改めて感銘を受けた。動じない人間をバリトンボイスで演じるのが定番になっているような人だが、この映画ではダメ男を、汗が飛ぶ勢いで熱演している。この一徳さんはレアだし、必見だと思う。

あと、大楠道代さんは改めてすごいなあと思った。嵐の日、洗い物をしていて、ふとしたきっかけで記憶が戻り、自分のした罪を想い出すシーンなど、大楠さんの芝居だけで成り立っている。ある場面を、台本渡されて「はい、やって」と言われて、できる役者さんは、そんなに多くないだろう。

回り舞台が見られなかったのがとにかく悔しい。次は飲みながら観劇したい。

1時40分就寝。