一眼レフ衝動買い

土曜の夜、ヤフオク! で、一眼レフカメラを衝動買いした。

OLYMPUS OM-2

昨日の夜、OM-2 用のレンズを落札した。

ズイコー 35-105mm

さらに、こんな一眼レフカメラのジャンク品も落札してしまった。

PENTAX MX

トータル金額は2万くらい。昨年、PENTAX ME SUPER の修理にかかった値段は3万くらいだったから、それよりも安い。

PENTAX ME SUPER を買ってもらったのは小学六年生の時であった。買ってもらうまでに、それはそれは沢山のカタログを集めたものだ。日々、飽かずそれらを眺め、月に何回かは新宿のヨドバシカメラに出向き、陳列されているカメラを触ってはうっとりしていた。エレクトロニクスこそ正義という時代になりつつあったため、機械式シャッターでマニュアルのみの OLYMPUS OM-1 とか Nikon FM-2 とかは、ちっともいいと思わなかった。今回買った PENTAX MX は、まさに機械式シャッターのマニュアル機である。

当時欲しかったのは、Canon A-1 とか Mamiya ZE-X とか ミノルタ X-700 などの、プログラムAEが搭載されているカメラだった。先のことを見通すことができないバカ小学生だったわけである。ヨドバシカメラの店員さんに「どんなカメラが欲しいの?」と聞かれ、「キャノンのA-1です」と答えたら、店員さんは怪訝そうな顔をして、「AE-1 プログラムにすれば?」と言った。その店員さんの気持ち、今ならわかる気がする。

バカは買わなきゃ直らない。結局、選んだカメラは、PENTAX ME SUPER だった。理由は、シャッターの最高速度が2000分の1秒 だったからである。当時、その速度を出せるカメラは、PENTAX LX、Canon F-1、Nikon F-3、CONTAX RTS、ミノルタ X-1、くらいだった。全部、フラッグシップ機だ。例外的に、Nikon FM-2 が、世界初4000分の1秒を売りにしていた。

しかし、撮る機会と環境が日常範囲に限られがちなアマチュアのバカ小学生にとって、2000分の1秒の使い道は皆無に等しかった。

とはいえ、後悔はしていない。デザインや小ぶりなサイズ感は今触っても好ましい。

ME SUPER で写真を撮ったのは、23歳くらいまでだった。10年ちょっと使ったことになる。その後しばらくしてからミラーアップ状態になり、26歳の頃はもう使えなくなっていた。

その後、修理方法をネットで読み、分解を試みたことがあったが、必要な工具が揃っていなかったため、途中でやめてしまった。部品を取り寄せるまでしたのだけども。

以来、ME SUPER は、壊れたまま、平成の後半を引き出しの中で眠っていた。昨年、修理屋さんに出して、目を覚ましたわけである。

昨年夏以降、旅に出る時は一眼レフを持っていくようになった。いまやスマホカメラの方が画質はいいのだが、一眼レフで写真を撮っていると、写真を撮るという行為がかなり強い力で目的化されるので、旅のお供にいい。要は、時間がものすごく持つのだ。

そして、ME SUPER での撮影をしていくうちに、子供の頃に売られていたマニュアルフォーカスの一眼レフが欲しくなった。それも、機械式シャッターのマニュアル機。

当時のAE機なんか、令和まで生き延びた未来人のオイラにとって、ちゃんちゃらおかしいのである。

「LSIピコピコさせやがって。格好つけんなよ原始人が」

と、超・上から目線で強く思うわけである。

12歳のオレよ。これは未来のオレから送る君へのメッセージだぞ。

むしろ、当時の機械式がすごいのだ。可視の範囲で洗練された工学技術の粋を感じる。もう、ジャパニーズはこういうの作れねえんじゃねえか? と思ってしまう。

さて。オリンパスの OM-2 が今日届いた。

これは OM-1 と違って電子式シャッターなのだ。なぜ買ったかというと、TTL 露出制御が搭載された世界初の一眼レフだからである。1975年の製品だから、ICが使われていたとしても、制御プログラムはごく単純なものに違いない。しかし、一眼レフにエレクトロニクス技術が搭載され始めた頃のカメラとして、持っておきたい、と思ったのである。

12歳の頃は、なぜ OM-2 が高級一眼レフ扱いになっているのかがわからなかった。TTLダイレクト測光もよくわからなかった。だって、シャッター速度が速くて、色んな撮影モードを搭載しているカメラの方が偉かったから。

いったん落札するとあれもこれも欲しくなる。欲望のたがが外れてしまう。気をつけないといけない。

さて。しつこいが、そのOM-2が今朝届いた。

レンズはなくボディのみ。早速箱をあけて手触りを味わう。1975年当時、これを『カメラのドイ』とかで月賦購入した大学生は、きっと周りから「すげえの持ってるじゃん」と羨ましがられたことだろう。でも吉田拓郎のつま恋コンサートには間に合わなくて、オリンパス・ペンとか持ってったんだろうなあ。

カメラが届いただけで、午前中は人生が不規則に痙攣していた。色々手につかなかった。

昼、整骨院へ。ビリビリもみもみ治療をしてもらう。もう痛いところはないのだが。

昼飯に、クリームコロッケ、メンチカツを、それぞれパンについて挟んで食べた。夜はハムカツとコロッケを同じようにして食べた。

夜7時からランニング。

荒玉水道を南下し、世田谷通りと合流するところまで往復した。15キロ。右足ふくらはぎは、ふんばると微かに違和感を感じたが、体が温まってくるに従って気にならなくなってきた。

風呂に入り、編み作業を2段やり、1時半就寝。