5時にスマホタイマーで起きた。昨夜はなかなか寝つけなかった。そのため、眠気がやや残っている感じがあった。
おにぎりを四つ食べた。
5時半にチェックアウトし、高崎駅に向かった。昨日確認しておいたコインロッカーにキャリーカートを預け、両毛線に乗って新前橋に移動。新前橋駅から出発するシャトルバスに乗り、7時少し前に会場となる正田醤油スタジアム群馬に着いた。
会場を少しうろうろしてから、参加賞をもらい、荷物預けテントそばのグラウンドで、フォームローラーを使った筋膜リリースとストレッチをした。会場のスピーカーから、今日の最高気温は26度になるというアナウンスが流れた。げげっと思った。昨年5月に走った富山マラソンでも25度だった。あの時は14キロか15キロ地点で熱中症状態になり、走る速度が急速に落ち、結局ハーフで棄権した。
しかし、気温が20度以上になることは予報で調べていたため、帽子は持ってきていた。
ストレッチを終え、8時近くになってから、荷物をテントに預けた。
スタンド2階の、無料テーピングコーナーに赴き、肉離れ防止用のテーピングをしてもらった。包帯状の、いわゆるテーピングだと思っていたのだが、カルビーのバーベQ味みたいなシールを部分部分に貼る、スパイラルテーピングだった。
会場外を歩き、スタートブロックで日差しを浴びながら、ふくらはぎのストレッチをしつつ、スタート時刻を待った。40分くらい待つことになった。一昨日、昨日と、体のコンディションは良いと感じていたし、今日もそうだったが、待っている間、ちょっとだけ眠気が残っているのが気になった。
9時に号砲が鳴った。2分後くらいにスタートゲートをくぐり、ランニングウォッチのボタンを押した。3月に板橋Cityマラソンを走った時は、心拍数を走行キロごとに設定したワークアウトを登録していたが、今日はそういう制限なしに走ることにした。
とはいっても、心拍数をモニターすることはできたので、なんとなく155を超えないように走るつもりでいた。
1キロ、2キロ地点は、すぐに過ぎた。そういう感覚があった。つまり調子がいいのだ、と思った。
タイムは一切見ないようにし、心拍数のみを確認した。150前後に落ち着いていた。
5キロ地点を過ぎる頃になると、ランナー同士の間隔がやや開いてきた。ペースも上がった。5キロ地点までは混んでいたので、それほどスピードを出せなかった。
ペースを上げた状態で10キロ地点まで走った。5キロ地点までの遅れはだいぶ取り戻したつもりだった。ところが、コースがスタート地点のスタジアム近くに戻ってくるようになっており、スタジアムのスピーカーから、今の時刻を知らせる声が聞こえた。その音声で、自分のペースが全然速くないことが分かった。10キロに1時間かかっていた。キロ6分を切れていない。これは遅すぎる。
その時点で、サブ4は無理だと分かった。
肉離れのことがあり、走り込みは足りていなかったので、再発せず完走できればいいと思ってはいたが、走っていてコンディションは良好だと感じていたし、3月より体重も4キロくらい減っていたので、速く走れるはずという思い込みがあった。それだけに、10キロ1時間はショックだった。
20キロを過ぎ、中間地点を過ぎるまでは、走るペースに変化はなかったと思う。心拍数は150前後をキープしていた。このままのペースで走れれば、まあまあのタイムになるんじゃないかとさえ思った。しかし、中間地点のタイムは2時間を少し超えていた。
22キロ地点を過ぎてから頃、右足ふくらはぎに張りを感じるようになった。ヤバイと思った。痛みはなかったが、肉離れを起こした箇所だった。その張りが痛みに変わり、ブチンといったら、棄権するしかない。
つま先に力を入れすぎないように気をつけて走ったが、その張りは30キロ地点まで持続していた。
30キロ地点手前から、今度はへたりがやってきた。心拍数を見ると140前後に落ちていた。筋肉の疲労限界だ。動かなくなってきている。
同時に、頭がクラクラしてきた。おそらく暑さによるものだった。そういえば、20数キロ地点で渡った橋の上で、倒れているランナーがいた。救護チームが駆け寄っていた。
そのあたりから先は、1キロを走る時間が長くなったように感じた。実際、スピードは相当落ちていた。歩いているランナーは追い抜けるが、走っているランナーのほとんどが自分より速かった。
そしてキツかった。3月のマラソンよりもキツかった。具体的にどこがキツいのか意識を張り巡らせてみると、両腿の疲労感がキツいのだとわかった。
1キロ走るごとにランニングウォッチがアラーム音を発した。そのたびに、残りのキロ数を頭の中で減らしていった。ところが、どこかでカウントを余計にしてしまったようで、アラームが鳴って35キロ地点通過と思ったとたん、目の前に34キロと書かれたプレートが現れ、膝が崩れ落ちそうなほどショックを受けた。
給水ポイントを通るごとに水とスポーツドリンクを飲んだ。飲みながら走るとむせそうだったので、飲み干すまで歩いて、また走った。ゆっくりでも、走るという動作で進まないと、永久にゴールできないような気がした。
残り2キロを切ると、遠くにスタジアムが見えてきた。ここで最後の力を振り絞り、すいすい走ることができれば良かったのだが、そうはいかなかった。もはや足の力だけでは走れず、両腕を振り腰を回転させることでなんとか前進した。
41キロ地点を過ぎ、会場近くの見覚えあるコースを走った。その先には42キロを示す看板はなく、ゴールのゲートだけが遠くに見えた。やっと楽になれると思った。
グロスタイム4時間45分、ネットタイム4時間43分でゴールした。2017年のワースト記録4時間48分には及ばなかったが、その時に匹敵する苦しいランニングだった。
荷物を引き取り、芝生でジャージに着替えた。時刻は2時を過ぎていた。今夜泊まる宿に行くため車を借る予定だった。予約は15時30分。店は高崎駅。ぐずぐずしているヒマはなかった。
シャトルバス乗り場に向かって歩いたが、会場から1キロくらいあった。歩くのがキツかった。会場の駐車場に救急車が止まっており、倒れたランナーがストレッチャーで搬送されていた。先ほど橋で見かけたランナーではないだろう。時間が経ちすぎている。やはり今日の暑さは、フルマラソンには過酷だったのかもしれない。
シャトルバスが途中で渋滞に巻き込まれたため、高崎に着いたのは15時35分だった。バスに乗っている間、来年の板橋Cityマラソンにエントリーした。
バスを降りる直前、少し遅れるとレンタカーに連絡をした。駅のコインロッカーからカートを出し、店まで歩いたが、バスの座席でしばらく座ったいたのがいい休養になったのか、レース直後に歩いた時よりも楽になっていた。
車を借り、ナビを猿ヶ京温泉の宿にセットした。
途中、セブンイレブンに寄った。宿に着いたら近くの居酒屋で一杯やろうと思っていたのだが、たぶん、温泉に入ったらバタンキューだろう。だったら、部屋でささやかに飲んで寝てしまうのがいいと思った。
となると、夕食もどこかで食べてから行った方がよさそうだった。しかし、まだジャージ姿だった。着替えて、店を見つけて入って等々が面倒だったので、コンビニで揚げ鶏、アメリカンドッグ、カップ麺を買い、パーキングで食べた。
宿に電話をし、チェックインが少し遅れそうだと言うと、夜8時までならいつでも大丈夫ですと言われた。
腹ごしらえを終えると夕闇が迫っていた。車に戻り、スマホでストーンズの『ハックニー・ダイアモンズ』を流し、カーステレオで聞いた。改めて、いいアルバムだなあと思った。
渋川、沼田市と北上し、北西への道をみなかみ町に向かって進んだ。すっかり暗くなっていた。
宿に着いたのは7時直前だった。チェックインし、風呂の説明を聞いている間、宿のおかみさんがキャリーカートの車輪を雑巾できれいに拭いてくれていた。ライダー三人組の湯治客が同じ時間にチェックインしていた。
温泉は内湯と露天風呂があった。体を洗い洗髪をしてから、内湯ではなく露天風呂に入った。外の気温はたぶん10度を下回っており、湯に浸かっても頭はひんやりしていたため、長くゆっくり浸かることができた。露天風呂は寒い季節に入った方がいい。
部屋に戻り、買ってきたビールをあけて飲んだ。
飲みながら、来年のマラソンについて思いを巡らせながら、今日の反省をした。練習不足はもちろんあったが、26度という暑さによって体力を削られたのは間違いないだろう。だが、その程度の気温じゃバテないだけの体力がなかったことになる。
体重がもっと軽ければ、ずいぶんと楽だったはずだ。三年前に渡良瀬調整池サブ4を達成した時は、レース前に半年近く糖質制限をし、体重を低めに抑えたまま本番を迎えることができた。その半年後、鶴見川のマラソンを走った時は、体重が4キロくらい増えており、その分タイムは遅くなった。
その次に出場したのが昨年の富山で、この時は前年秋から年明けにかけてかなり体重を減らしていたので、スタートの時、体が軽いと感じられた。実際、14キロ地点までの走行タイムも良かったのだが、その後、夏日の暑さにやられてしまった。
そのひと月後に出た松戸は、真夏日だったので論外。今年の3月は、富山の時から6キロ体重が増えており轟沈。
今回の敗因は、体重的には減らしており、やれるだけの走り込みをして望んだものの、やはり暑さにやられたのが50パーセント。20キロ以上を走るLSDの回数が少なすぎたのが50パーセントだろうか。暑さ対策に帽子をかぶってはみたものの、その効能は30キロ地点で切れてしまったと思しい。
アルコールがすぐにまわり、しゃっくりまで出てきたので、9時半就寝。