FMWのことを思い出した

8時過ぎ起き。居間に行くと、母はまだ起きていなかった。こたつに入りしばらく本を読む。

9時頃、母起きてきて、喉が痛いので10時に病院に行ってくると言った。それまで寝ているというので、朝飯は一人で食べ、10時に母を起こした。

昼まで、フィリップ・K・ディック『高い城の男』読む。SFの古典。まだ読んでいなかったことに気がついて借りた。

12時過ぎ、母帰宅。「病院が混んでてイヤになっちゃう」と言っていた。コロナではなかったらしい。たぶん風邪だろう。

昼の2時過ぎに実家を出る。中野で降り、中央図書館で本を借り、LUUPで成田東図書館へ移動し本を借り、帰宅。

冬木弘道『鎮魂歌 – FMWはなぜ倒産したのか』読む。最近、スポーツ報知に連載されている大仁田厚の回想録を読み、FMWの全盛期はすごかったことを思い出した。旗揚げの一年二ヶ月後に大仁田はプロレス大賞を受賞しているし、旗揚げ二年経たずに川崎球場で興行を行っている。大仁田が引退した95年まで、FMWは興行的にほぼずっと安定していたのではないか。

冬木がFMWに関わった経緯はよく知らないが、当時は大仁田がFMWに復帰しており、外から見るとなんだかごちゃごちしているなあという印象を持った。95年に引退してから復帰するまでほぼ一年半のブランクがあったが、その間大仁田は、教師役で映画に主演したり、大河ドラマに出たりなど、タレント活動をしていた。しかし、演技は下手だったし、これは長くもたないなあと思ったものだった。

復帰した後、冬木体制になり、結局大仁田はFMWを追い出され、新日に絡んで長州さんとやったりしていたが、その間FMWはスポンサーのディレクTVが離れたりなどして、経営が悪化していったようだ。

冬木の本は2003年初頭に出版されたものらしい。その前年、5月頃だったか、荒井社長が自殺した。その直前に、FMWがなぜ倒産したのかを書いた本を出した。冬木の本はそれに対する批判というか、自殺したのは気の毒だけど、荒井にも責任はあるということを書いた内容だった。

まだ荒井さんの本を読んでいないのでわからないが、荒井に対する冬木の指摘は、プロレスという範疇を超えて、経営に関わるフロントと現場の関係という普遍的な内容になっており、非常に面白い。

『不適切にもほどがある』をTverで見た。娘とベッドに入っていた男の子が転校生として教室に入ってきたのを見た阿部サダヲが、これからこいつを死ぬほどしごけるのだという悦びに満ちあふれた顔で「会いたかったよ」という場面に大爆笑してしまった。1986の設定とは若干異なる描写はあったが、むしろ、その時代の教師だからこういうふうなことするのは当たり前だぜと開き直るかのような、阿部サダヲのキレ芸っぷりが、痛快極まりない。

1986年で疑問だったのは、伊藤博文の旧千円札、近藤真彦の扱い、バス内や教室での喫煙くらいか。86年の千円札は夏目漱石だった。86年のマッチさんファンは長年ファンのコア層に移行していた。路線バスと教室喫煙はさすがになかった。観光バスと職員室喫煙の間違いだろう。