できなくてもピリピリしちゃダメ

5時起き。朝飯に、ご飯、納豆、ハムトースト。

6時少し前に家を出る。自転車で永福町へ。井の頭と京王で調布へ。

6時40分頃、スクールの車が来る。2台のうち、ボスの車に乗る。すぐ、ラジコで『ホンモノラジオ』聞く。

9時、伊東着。東京よりは2度くらい暖かいように感じた。

機材のセッティングをしてから更衣室に行き、インナーに着替えて戻ると、ブリーフィングが始まっており焦った。皆、インナーは下に着込んでいたらしい。

バディは昨年11月に一度組んだハルさんだった。ログブックを覗くと今日が44本目らしかった。年末レスキューを取ったらしい。

10時過ぎにボートに乗る。ポイントへの移動時間が少し長かった。幸い、船酔いはしなかったが、弱い人は辛いだろうなと思った。

ポイントに着き、ジャイアントストライドで海に入り、すぐ、船に沿ってブイに伸びていたロープにつかまり、潜降ポイントに移動した。全員集まってから、ガイドの合図で潜降した。インナーを2枚着ていたので心配だったが、無事に潜降することができた。

水温は、暖かくはなかったが、冷たいと感じるほどでもなかった。寒い日のバイクを運転する時に比べると全然大したことはなかった。

28メートルほどまで潜降した。ハルさんはカメラを持っており、生き物を見つけるたびに撮影していた。

エアー消費を気にしながら一本目のダイブを終えた。残量は50だった。

タンクを交換する時、Uくんから、止める位置が斜めになっていたことを指摘された。中心にすればもっと楽になるとのこと。

ガイドさんからは、やや浮き気味だったと言われた。確かに、メンバーを上から見下ろすことが多かったと思う。BCやドライスーツにエアーを多めに入れすぎだったかもしれない。

休憩後、チームがレスキュー以上とアドバンスだけに分けられた。ガイドはUくんに変わった。バディも変わった。ブリーフィングにて、生き物の説明をされたが、それがどういう見た目をしているのか予備知識がゼロだったので、たぶん、わからないだろうなと思った。

二本目のポイントへ行く時、バディが吐き気をこらえていた。心配になり、ポイントに着いた時、大丈夫ですか、いけますかと声をかけたが、いけるようだった。彼が先に入り、その次に入った。

一本目と同じく28メートルほど潜行した。Uくんはブリーフィングで言っていたピカチュウウミウシを探していたが、結局見つけられなかった。

一本目は、マスクの下から水が入ってくるのに悩んだが、二本目は大丈夫だった。フィット感のコツみたいなものがあるようだが、それが何なのかはわからなかった。

浮上し船に上がり、エアー残量を見ると、50残っていた。前回から30を切ることはなくなっているが、まだ多い。

機材を洗い、着替え、網代に移動した。時刻は3時を過ぎていた。

網代の『味くらべ』で昼飯に穴子丼を食べた。同じ席にいたガイドのKちゃんに、エアー消費と中性浮力についてアドバイスを聞いた。自分はBCへの吸排気が多すぎるようだ。9月は逆に少なすぎて、息だけでは浮上できなかった。しかし、それは安全停止より深いところにいたからで、5メートルまで上がったら、実際、BCやスーツにエアーはいらないんじゃないか? 次にやってみよう。

4時に店を出たので、ショップに戻ったのは7時近かった。精算をし、6月以降のレスキューに申し込んだ。休日はすでに埋まっていたのでキャンセル待ちにし、まだ空いている8月にも予約をした。

永福町のキッチンコートでビールとポテトフライを買い、9時過ぎ帰宅。風呂に入り、ビールを飲む。

オレは物事を習う時、ピリピリする傾向があった。できない自分に腹を立てるからそうなっていた。それによって周囲にいる人に不愉快な思いをさせてきた。

今日、ピリピリしたというわけではない。ここ数年、そういうことはない。ないはずだ。でも、心の中に、ピリピリの種がまかれるのを感じることはある。幸い、芽吹くことはない。

恥ずかしさを感じる状態は、子供の頃から苦痛だった。顔が赤くなり、心拍数が上がった。眉間とみぞおちに鈍痛があった。その苦痛は、克服したいというより、逃れたいものだった。しかし、外から見ると、陰気でぐちゃっとした小僧が、あたふたしながら恥ずかしがっているように見えただろう。滑稽だったに違いない。当然、笑う者もいる。その笑い声がまた、恥ずかしさを倍加させた。

そもそも、恥ずかしいと思う必要なんかなかった。言い方を変えると、恥ずかしがってやる義務なんてなかった。その方が、できない理由を冷静に分析できただろうし、できないことが辛くもなかっただろう。

大人になってから、そういう意味で恥ずかしがることはなくなった。その代わりにピリピリするようになったのだ。

そのピリピリも、ここ数年、しなくなった。悪い傾向ではない。