7時起き。朝飯に、きのこご飯、つみれ汁、ナポリタンの残りを食べる。
10時に実家を出る。上野へ。
ジュエンのシューズ館に行くが、店がロンドンシューズに変わっていた。ネットでジュエンのサイトを調べると、マラソン関係は、ジュエンBENEXにあるようだった。
線路の東側沿いを御徒町方面に歩き、BENEXに行ってみると、2年前にランニングキャップを買ったのはここだったこと思い出した。忘れていたのだ。上野のシューズ館はいつからいつまであったのか。
BENEXでシューズとキャップを買った。キャップは、XLがあったのでそれにした。今持っているのはフリーサイズなので、被ると、三蔵法師に懲らしめられている悟空みたいに、頭がキリキリ締め付けられてしまう。
外は暑かった。20度を超えていた。
昼飯に、御徒町の『えぞ菊』で味噌ラーメン大盛りを食べた。
JRで中野へ。図書館へ行き、予約した本を借り、駅前からバスで1時過ぎ帰宅。
夜まで、なるべく動かず、本ばかり読んで過ごした。
長谷川康夫『つかこうへい正伝II』読む。
前作『つかこうへい正伝』は、1970年代から1982年までの初期つかこうへい事務所時代におけるつかこうへいのことが書かれていた。その時代、長谷川康夫は、役者としてだけでなく、つかこうへいの口立てを活字にする助手のようなこともやっていたという。
同じ役割を平田満や高野嗣郎も担っており、口立ての活字化は小説でも行っていたらしい。『つかこうへいによるつかこうへいの世界』には、「蒲田行進曲」の稽古場日記が掲載されており、その中に登場する長谷川康夫は、ヤスの役をふられたものの、最後は柄本明にその役を奪われ、「アホは金で片をつけるにかぎる」と、つかから30万円を渡されるという、徹底して被虐的な扱われ方だった。
『正伝』で、その日記は長谷川康夫自身が書いたものだったと知った時は、かなり驚いた。同時に、当時のつかこうへいという存在は、つかこうへい本人だけでなく、長谷川康夫や他の役者全員で作り出したキャラクターであるということが理解できた。つまり長谷川康夫も、つかこうへいの一部だったのだ。
『正伝II』は、初期つかこうへい事務所が解散し、つかが演劇をやめて執筆に専念してから数年間のことが書かれている。長谷川の役割は、小説などを執筆する時の口立て助手だが、立場は大きく変わり、つかに冗談を言ったり軽口を叩けるようになったのはこの時代からだったという。
本を読んでいる合間、おやつに今川焼きをたべ、経口補水液を飲んだ。
夕食に、サッポロ一番しょうゆと、ご飯を食べた。
明日、ゴールしてから体を拭くための濡れタオルを冷凍庫に入れ、9時過ぎ就寝。