『狂四郎2030』読了

8時半起き。

バケツに入れていた水耕栽培のトマトを、ゴミ箱容器に移動した。4月頭に懸念していた通り、葉と根が成長したため、トマトはゴミ箱の蓋からとれなくなっていた。別の発泡スチロール蓋で育てていたら、蓋に取り付けられなかったはずだ。だから、これでよい。ゴミ箱容器に養液を満たし、根を下にしてゴミ箱蓋を被せ、あとは吸水ホースやエアーポンプのチューブをセッティングすれば完了。

チューブをセットした時、エアーの泡が小さいと感じた。勢いが弱かった。エアーポンプ内部のスペアパーツを交換していないからかもしれない。

同時に、一昨年まで使っていたゴミ箱で、別の作物を育てることも考えた。以前、きゅうりとトマトを同じ容器で育てたことがあったが、それだと容器をいくら大きくしても水が足りなくなる。

ゴミ箱を二つ使うとすると、エアーポンプも新しいのを買った方がいいかもしれない。排気穴が二つついているものを買えば、一つのチューブを分岐するより、多くの空気を送り込めるだろう。

支柱は、三角粋にして、頂点を結わいて、そこから紐を垂らし、トマトの茎を誘引するようにした。第二花房まで脇芽を育てていないので、ゴミ箱の蓋から50センチほどは一本立てのまま茎が伸びている。そこから上の部分は脇芽成長を解禁するので、わしゃわしゃになっていくのもそこから上の部分になる。

2020年に『こいあじ』を育てた時は、成長解禁ポイントをもっと高いところにしようと思い、一本立てのまま6月まで育ててしまった。このため、葉の数が全体的に足りず、せっかくの収穫シーズンに咲かせる花の数が少なくなってしまった。翌年はその反省を生かし、脇芽はすべて育てていくようにしたら、収穫数が激増した。

昨年まで3年間、脇芽放置でやってきたが、やり過ぎると根元に近い部分の葉が密集しすぎて日が当たらなくなることがわかった。今年は全放置ではなく、脇芽かきも併用しつつ、かつ、茎が伸びる方向をコントロールしつつ育てて行きたい。

9時半から作業。どさん子ツールのコード比較表を見つつ、相違部分を調べる。二つのフォームがあり、片方をコピーして作られたのが今回改修するフォームだ。もとは同じだが、その後の運用で細かい部分に相違ができている。新しい案件に対応するため、フォームをコピーするという方法は、このように、同期し損ないみたいな現象が発生するため、やるべきではないと思うし、自分ではやったことがほとんどない。

昼、トースト、ベーコンエッグ、味噌汁食べる。

午後、ミーティングに参加。業務の知識がおぼろげながら増えていくことを初めて実感した。

夕方、どさん子ツールの依頼にあったエラー改修の手がかりがやっとつかめた。

夕食に、ご飯、納豆、きゅうりのぬか漬け、味噌汁。

夜、今日は中日ーDeNAの試合はあるのかな、と思いながらYahoo!を見ると、湧井が大炎上したという記事が目に入った。初回に滅多打ちされ、9点も取られたらしい。あり得ない。結局、初戦よりも多くの点を逆にDeNAに献上し、中日は負けた。得点は細川のソロホームランだけだった。昨日打ってくれればいいのに。

先日の阪神戦といい、投手陣の打ち込まれ方に不条理なものを感じる。徹底的に研究された結果という感じではない。ボタンの掛け違いが進行し、なぜか全裸になってしまったみたいな不条理さだ。

『狂四郎2030』読了。後半、二条総統の本拠に乗り込むあたり、バベンスキーと無明が閉じ込められたままの展開が長く続いた。そのあたりからエンディングまでは、作者の迷いを感じた。王道的展開ならば、ラストで巨悪を倒して物語が終わるのだろうが、ラスボスは二条総統というより、二条総統を生み出す社会であり、それを構成する国民であり、日本人全体であるということが、それまでの物語で明らかになっていた。悪を倒す、というコンセプトを進めると、日本人を善と悪に分け、悪のみ粛正するという発想になる。それだと二条総統と変わらないわけだ。

それを踏まえてのラストだった。大団円という感じはしなかったが、提示してきた日本の未来を、単純な勧善懲悪にしなかったことは、むしろ、作家的良心ではないがろうか。あとがきは、そのことを裏付けるものだった。

12時半就寝。