どこが罪であったのか

4時起き。二度寝。

二度寝している時に夢を見た。2008年頃に住んでいた部屋が舞台だった。そこへ、2000年前後に関わっていた人がやってきた。没交渉になった人が二人来た。最近会っていない年上の知人が来た。親しい人はいなかったが、後でくるということになっていた。みんなで家にあるコンロと網で、焼き肉をしようとする夢だった。

朝飯にご飯、スープカレー。日曜に作ったものをすべて食べた。

雨だった。電車で現場へ。

午前中、上方仕事のお礼メールが来た。うまく動作したらしかった。

しかし、ヒマ。

昼、『糀家』で担々麺。

店を出ると雨が急に降ってきた。結構濡れた。オレより後に休憩をとった人たちは、傘なしで出て、その後のゲリラ豪雨に遭遇したらしい。

『二つの祖国 下』読む。東京裁判に東条登場。

東条もそうだが、A級戦犯それぞれ皆が、過去を理想主義で振り返っていると思った。彼ら全員に欠けているのは、組織のヒエラルキーを頭においた上で、トップの思想が末端に届くまでに、伝送損失がどのくらいあるかと考えるものの見方だろう。

トップから将官佐官尉官クラスまでは、ある程度の思想的純度を保つことは可能だったかもしれない。しかし、当時であれは佐官尉官のどこかで、過激方向へ強めのバイアスがかかることが予想される。

下士官になると、学歴的な解釈力の差によって、バイアスがかけられた思想が本質からどのように変質しているのかを判断することが困難になっているかもしれない。鵜呑みにするか、あるいは、新兵に歯を食いしばらせる回数をより増やせるよう、自己流に解釈する軍曹殿はとてもたくさんいたはずだ。歯を食いしばった兵士の数は、トップの連中の何倍いただろうか。

戦陣訓は、トップがトップ周りで語っていれば、そりゃあ聞こえがいい。だが、伝送損失の果てに、どのような形で兵卒に届いていたのだろうか。東条以下A級戦犯の誰もが、リアルな実感として理解してはいなかったろう。この構造が、占領地域における日本兵の暴虐行為や、捕虜への非人間的対応を生んだのだ。戦犯たちのほんとうの罪はそこであったと思う。

そしてこれは、現代の日本においても、会社や学校などさまざまな組織で、実際に起きていることだろう。

昔、某メジャー企業で仕事をしたことがあったのだが、ある時期から急に、トップにおられる経営カリスマ的な人がまとめた有り難き経営哲学の抜粋を、ミーティング時に現場のみんなで唱和することになった。役員から日本全国各地のリーダークラスへ、シャンパンタワーみたいに下りてきたその御言葉を、オレみたいな「家? 橋の下でーす! 寝床? 新聞紙でーす!」レベルの、ストロングゼロ飲んで選挙なんかほったらかしてグラドルのインスタにでも夢中になっていれば与党に貢献できて富裕層がなにかと便利になるという下層階級の人間も、一緒にとなえる義務が課せられたのである。

しかし、その有り難きカリスマちゃんの哲学とは、オレらみたいな傭兵は徐々に首にして、企業は純血主義をとるべきだというものだった。それを、オレらみたいな傭兵が純血さんたちと一緒に唱えるのって変じゃねえか? これって、旧日本軍で行われていたこととおなじだよなあ、と思ったものである。

午後もヒマ。

夕方、中野までメトロ、そこからバスで家の近所まで。

6時半帰宅。

ヤクルト中日戦をラジコで聞きながら、AKIRAセーターの袖を編む。
ヤクルトは初回、村上が2ランを打ち、その後中日岡林のエラーで1点を追加していた。
6回、1安打に抑えられていた中日は連打でノーアウト満塁にした。しかし岡林三振、木下三振、ビシエドが死球で1点をとったものの、マルティネスも三振だった。ノーアウト満塁でこれかあと思い、負けたと思ってラジコを切った。

その後、インヴェンションのハ長調などを練習し、ネットで野球の結果を見ると、中日が勝利していた。7回に中日は再び満塁のチャンスを得て、6回には三振した岡林が二死から走者一掃のツーベースを打ち逆転したらしい。
よっしゃ! とこぶしを握った。そして、オレがラジコを切ったおかげ? と、ミック・ジャガーの呪い的なことを思った。

吉田拓郎のオールナイトニッポン過去分を聞く。山下達郎ゲスト回とアルフィーの桜井さんゲスト回。雑談が楽しい。

10時過ぎ就寝。