6時半起き。
PCをつけて台本を書く。
7時過ぎまで。
コーヒーを飲み、妹の長男の話を母から聞く。
受験のことなど。
父が、若い頃IHIに入社した時のエピソードを話した。
「希望を抱いて入社したのに、入ってすぐ課長が、高卒は管理職になれないって言ったんだよ」
ひどい話だ。
だが、父の二十代から三十代までの物語は、そのひと言によって作り出されたのだと思う。
数年後、父はIHIを退社し、江戸川区にある小さい町工場で働き始めた。
高度経済成長期だったこともあってか、オイルショック前に工場は株式会社となり、自社ビルを建てるまでに至った。
父は数十年間勤め上げ、管理職から最終的には取締役のポジションに登りつめ、七十で定年退職した。
終身雇用という神話が確立されつつあった時代に、花形産業だった造船業の大企業であるIHIを辞め、名も知れぬ町工場へ転職するということは、相当の覚悟かもしくは激情がなければできないことだったろう。
当時祖父はすでに亡くなっていたから、父親代わりだった伯父との関係も微妙なものになったと思うし、一度捨てた故郷をもう一度捨てるような経験だったかもしれない。
おそらくその経験があったからか、オレが大学を卒業しても演劇を続け、養成所を出てアルバイトをしながらフラフラ生活している時も、将来について父が小言めいたことを言ったことはなかった。
オレはオレで二十代から三十代にかけて様々なことを経験し、未来がまったく見えない暗澹とした気持ちで生活費を稼ぐ日々を送ったこともある。
二度と経験したくない思いも、三度四度と経験した。
だがそういう経験をしたことで、人生の中に自分自身を見つけてきたのだと思っている。
もし、もう一度自分に生まれ変わることになったとして、神さまみたいなじじいに、
「おぬしの人生じゃが、今回はリピーターサービスで、ヘビーなイベントはパスできるぞい」
などと言われたとしても、
「いえ、イベントは全部入りでお願いしやす」
と、ほんっとにイヤイヤながらも答えるだろう。
ああやだやだ、あんなこともこんなこともまた経験し直すのかとぼやきつつ。
両親は孫に、大学に進学して欲しいと思っているようだ。
だが今は、大学に行かないとどこにも就職できないという時代ではない。
就職における究極の勝ち組を目指しているなら別だが、それなら東大クラスでないと意味はない。
かといって今のうちに、将来何をして食べていくのかを明確にし、そのための学校に通うというのも、早すぎるような気がする。
真剣に人生をかけて夢中になれるものに出会えていないならばなおさらだ。
妹も、高校を卒業してから就職するまでに、2年余りのモラトリアム期間があった。
その時期、特に何か将来に向けて意味のあることをしていたわけではなかったはずだ。
実家に暮らし、バイトをしながらぼんやりと色々考えるうちに、ある仕事をやってみようと考え、親には告げずに願書を取り寄せ受験し学校に入った。
自分で決めてそうしたのだ。
妹は自分のモラトリアム時代を思い出せばいい。
いい思い出ではなかったとしても、その二年間が彼女の人生を作ったのだ。
甥についても同じことだ。
オレの受験も、うまくいったわけではない。
高校を卒業したら浪人して、行きたい大学に行くために勉強するつもりだったのに、日程が余ったからついでに受けた大学に合格した。
他の大学はすべて落ちてしまった。
そのため、特に行きたいわけではなく、教師になりたいわけでもなかったのに、学芸大学に行くことになってしまった。
両親は大いに喜んでいたが、オレは現実からバカにされたような気分を味わっていた。
親のために、喜んだふりをしてあげるほど、大人でもなかった。
こうなったら、大学に入ったら遊びまくってやろう。
そう思い、すべての受験参考書を捨てた。
大学に入っても教師にはなるまいと決めた。
じゃあ何になるんだという問いからオレの人生は始まり、そのあたりでたまたま演劇と遭遇し、色々あってリボン状のマグネシウムが人生に巻き付いた。
以降のことはこのブログに詳しい。なんてね。
実感として思うが、子供や孫の将来なんてほったらかしておいた方がいい。
人を傷つけたり騙したりせず、犯罪に手を染めなければ何やったっていい。
ディケンズの小説みたいに、犯罪都市に捨てられた孤児が、何一つ持たない状態で生きるわけではないのだ。
伯父として無責任な立場からいえば、早めにひどい目にあうといいなあと思う。
タフになる。
もしも姪っ子だったらどう思っていただろう?
いや、やはり女の子でも、それなりにキツイ目にあった方がいい。
そこから強くなっていく課程で磨かれる美しさというのもあるし、そんな美しさに惹かれるメンズの方が男としてまともだから、結果的にいい彼氏が見つかるかもしれない。
気をつけなきゃいけないのは、キツイ目にあってから強くなっていく途中で引っかかる男だ。
弱さにつけ込む男だ。
あいつとか、あいつとか、あいつみたいな感じの。
いない姪の心配をしてどうする。
仕事に行くべし。
8時半から仕事。
午前中早めにルーティンワークを終える。
インテグレーテッドDBを修正するくらいで、仕事はヒマだった。
6時過ぎにあがり、休憩室でK兄さんと少し話し、6時半にKZさんの送別会へ。
昨年同じチームにいたメンバーのみ集まる。
Sくんは今の仕事が残業となり来られず。
kくんは新しい仕事先から参加。
主役のKZさん、少し遅れて到着。
昨年のチームは過去の出来事となり、現在散ってしまった面々は、
「去年の方が良かった」
と口々に言う。
過去は常にキラキラしていて、現在は常に灰色だ。
現在を、キラキラした過去のように味わうことは、なかなか難しい。
kくん、過去のロン毛時代の写真を見せる。
LINEのプロフィール写真に使っているもの。
Jリーグ開幕当時の北澤みたいだ。
「神さまのあの写真見せて下さい」
と言われる。
24歳の時の、犯罪者みたいな写真。
恥ずかしいというより、えー、とか、うわー、とかいうリアクションに対するリアクションが煩わしかったので、
「マンガの湯けむりスナイパーで検索すれば、オレそっくりの絵がいっぱいあるよ」
と答える。
案の定の反応が引き出せた。
湯けむりスナイパー以前は、空手バカ一代の大山倍達が、オレに似てるマンガキャラだった。
今でも、そっちに似てると言われると、ちょっと嬉しくなり、心がときめく。
10時過ぎに解散。
k君と話しながら新宿まで歩く。
今やっている仕事がExcel中心なので、作業効率を良くしたAccessツールを作ろうと思っているとのこと。
頼もしい話だ。
「四麺燈」でつけ麺を食べ帰宅。
なぜ、食べたくなってしまったのだろう?
朝、昼とあまり食べず、夜も炭水化物のつまみが少なかったせいかも。
「四麺燈」自体久しぶりだった。
11時過ぎ帰宅。
水のシャワーを浴びる。ぬるかった。
2時就寝。