体温調節の難しい季節になった。
時期は特定できないが、毎年必ずそういう季節が来る。
感じる気温は涼しいと寒いの間で、上着選びに苦労する。
体は暑さと寒さ両方に対応できる均衡状態にあり、そんな時にラーメンなどを食べると大汗をかくことになる。
日が沈むと涼しいを通り越して寒くなる。
日没時刻は冬に対する秋の防衛線だ。
そしてその時刻はこれから12月にかけてどんどん早くなる。
甲子園球場でのシリーズ3連戦はナイターだった。
試合後半になれば時刻も9時を過ぎた。
いくら熱戦が展開されているとはいえ、スタンドで固唾をのんで見守っていたファンはさぞかし寒かっただろう。
シリーズ第7戦はダイエーの本拠地、福岡ドームで行われた。
夕方7時半に買い物を済ませ帰宅しテレビをつけると、ダイエーが5対0でリードしていた。
音量を上げて台所に立ち、野菜を切ってシチューを作った。
シチューとパンを食べながら試合を見た。
阪神は5回に関本のソロホームランで1点を返した。
続く今岡と赤星に連続ヒットが出たのだが、金本はセンターフライに打ち取られ、桧山は三振を喫した。
この回に追加点を入れられなかったのが悔やまれる。
星野監督は7回途中からウイリアムスを登板させたが、阪神打線は8回までダイエー先発和田を打ちあぐね、9回も簡単に2アウトを取られてしまった。
次にバッターボックスに立ったのは、シリーズでいいところなく三振を続けていた広沢だった。
その広沢がソロホームランを打った。
現役生活最後の打席を、意地の一発で締めくくったのだ。
確かに試合全体から見れば焼け石に水の一発だった。
しかし、最後の最後まであきらめない戦い方でセリーグのペナントを制した阪神タイガースにとって、今シーズンの掉尾を飾るにふさわしい一発だったのではないだろうか。
試合は6対2でダイエーが勝ち、1999年以来4年ぶりに日本一の座についた。
阪神は負けたが、日本シリーズの成績を振り返って見ると、ダイエーとの実力差は歴然としている。
第7戦まで戦えたことが不思議だった。
チーム打率は2割そこそこで、金本でさえ打率は .192 と低かった。
もっとも金本の場合、5安打中4本がホームランだったのだが、逆の言い方をすれば、シーズン中は2アウトまでフルスイングを封印していた金本が、自らのバットで何とかしなければならないほど、打線がつながりを欠いていたのだ。
しかし、データ上の弱さが結果的に今年の阪神の凄みをよくわからせてくれたのではないか。
星野監督は中日時代の2回の日本シリーズで、今回のように白熱した戦いができなかった。
実力をほとんど出し切れずに終わってしまい、ファンは失望した。
今回の日本シリーズで監督は、勝利にこだわっていたのではなく、戦い方にこだわっていた節がある。
「歴史に残るシリーズにしたい」
そう言っていた。
確かに歴史に残るシリーズになった。
弱いチームが強いチームをとことんまで追いつめ苦しめたが、それでも強いチームは強かった。
1992年の日本シリーズ、ヤクルト対西武と全く同じだ。
ヤクルトは1992年には敗戦したものの、その後はセリーグを代表するAクラス常連チームとなり、1993年、1995年、1997年、2001年と4回のリーグ優勝を果たし、日本シリーズでも勝利を収めている。
すべては1992年の日本シリーズ第7戦、強者西武相手に力尽きたところから始まっている。
阪神が今回優勝できなかったのは、実に幸運なことだったのだ。
本当にいい日本シリーズだった。
終わってしまったことがとても寂しい。