静電気におびえる日々。
それは静電気におびえる者でないとわからないはずだ。
ここ3年ばかり静電気におびえている。
まるで命を狙われているかのように。
バチッとくるのが痛いわけじゃない。
ただ、たまらなく腹がたつのだ。
それも瞬間的に。
日常でキレることなどまったくない人生を送ってきたつもりだが、たかが静電気一発でキレ易い男に変貌する。
そんな自分でいることが嫌だ。
どうせキレるなら、高山善廣のプロレスを見て興奮するとか、そういう理由でキレたいものだ。
高山といえば昨年は惜しくもプロレス大賞を逃したが、今年に入ってもマット界における最重要キーパーソンの一人であることは変わらない。
何しろ生き残ったU系の一人だからガチンコに強く、馬場さんが生きていた頃の全日本プロレスで沢山の試合をこなしているから巨体の利を生かす術に長けている。
発言もただ怒鳴るわけではなく、ひねりと毒が効いている。
しかしプロレスがつまらないなあ。
ノアの三沢がらみか、高山善廣がらみでないと見る気がしない。
寂しいことだ。
極真空手もお家騒動のため、空手ワールドカップで数見肇のリベンジを見ることができない。
つまらん。
プロレスに関していえば、1993年から1996年あたりまでが一番面白かった。
女子プロも元気だったし。
この4年間は高田延彦転落の歴史と重なる。
年表にすると、
1993年 神宮球場でベイダーを倒し、「最強」を証明
1994年 ベイダーにリベンジされる
1995年 新日本プロレスとの交流戦で武藤と戦い、よりによって足四の字固めで破れる。
1996年 UWFインターナショナル解散
こんな感じだ。
UWFインターナショナル解散後の高田は、翌年1997年のPRIDE01でヒクソン・グレイシーと戦い、ギブアップ負けを喫した。
高田は高山善廣の師匠だ。
そして桜庭の師匠でもある。
1993年のUインター神宮大会のビデオを見ると、高田の入場につきそう若手の中に、肌がつるつるの高山がいる。
お宝ビデオだ。
雨が降ると湿度が上がるためだろうか、静電気でバチッとすることなく一日が終わった。
「ねじまき鳥クロニクル」3巻読了。
豚と牛の合い挽き肉が安かったので買い、ハンバーグを作り置きした。
ハンバーグを作るのなんて6年ぶりくらいだ。