10時過ぎに起きたらなぜか体調が悪かった。
水を飲み12時まで大人しくしていたら、頭がすっきりしてきた。
ジョギングへ。
途中、参院選の投票をする。
小学校に、教材のミニトマト鉢が並んでいた。
自動水やり用のペットボトルが刺さっていた。楽ちんになったな。
環七から神田川を回って帰宅。
『富士に立つ影』明治編読了。
光之助は、武士のプライドが邪魔して、仕事にありついても三日と続かない。
困窮した彼に、異母弟の兵吾が、偉人伝の執筆という仕事を紹介する。
取材旅行をする光之助は、偉人と呼ばれる者の実情を知り憂鬱になる。
そして、父の敵であった公太郎こそ偉人ではなかったかと思い始める。
公太郎の死体を父は見なかったという。
ひょっとして生きているのではないか。
光之助は偉人伝そっちのけで、噂話を頼りに公太郎を探す。
だが結局見つからなかった。
東京にもどった彼は、それでもかつての鬱屈やプライドから自由になれた。
仕事の依頼人である恩人の洋行を見送り、妻はそのままでよく、そのまま妻を愛すべしと決意し、物語は静かに終わる。
大団円だった。
長い話だからこそ得られる余韻があった。
公太郎が実は生きていたなんていう展開にならなくて良かった。
それじゃ少年ジャンプだ。
図書館で本を返し、阿佐ヶ谷から大塚へ。
萬劇場にて、市森くんの舞台観劇。
段ボールの立方体でピラミッドが作られ、役者が部品を動かして色々なものに見立てる演出だった。
モーゼに率いられたユダヤ人のエジプト脱出から、現在のテロ事件まで延々と続く、ユダヤ、キリスト、イスラムの争い。
この歴史の流れを縦軸として、ピカソや、不思議の国のアリスが、横から眺めたり関わったりする構造。
野田秀樹ふうだと思った。
ピカソがゲルニカを描いたのは、世の中を平和にするためではないのだという場面があり、なるほど、と思った。
その通り。Imagineだってそうだ。
今、世界の危機について、アンテナを張り受信して、発し続けようとするラストに、心を揺さぶられた。
答え出そうとしたり、エンタメもどきにするんじゃないのが良かった。
終わって劇場を出ると、久保くんが難しい顔をしてタバコを吸っていた。
何がなんだかわからないといったふうだった。
この前、別の芝居で会った時は、オレは気分が悪くなり苦虫を噛み潰したような顔をしていたが、彼は飄々としていたから、つくづく、見る人の感じ方は違うなあと思った。
多くのお客さんはそうなるんだろうか。
帰りに「ぼたん」でとんこつラーメン食べる。
今日最初の食事がそれだった。
投票率、さほど上がっていないようだ。
内戦の可能性を憂えている。
外国との戦争より、そちらの方が可能性は高いんじゃないか。
政治だけでなく、社会を構成するシステムのどれもが、劣化している。
膨大な意見がネットで氾濫しているのを見ると、衆知を集めて解決できるとも思えない。
選挙は劣化システムのうちのひとつで、劣化システムで劣化システムを直すのだという認識で今回は投票した。
そういう投票基準なので、党も政策も候補者も、判断基準にはしなかった。
今の劣化システムで改憲しようとするから、改憲には反対。
システムが劣化してなければ、そもそも改憲なんて意見は出ないと思うが、憲法はシステムに含まれるのか?
コモンローみたいなものではないのか?
戦争反対。
だが、内戦が起こるとは、みんな考えていないんじゃないか。
戦争の種となる圧力は、国内においての方が強いだろう。
日本死ね、と思う人は、若いお母さんだけじゃない。
東京オリンピックが不気味だ。
あと4年。
1940年に予定されていた東京オリンピックは戦争で中止となった。
その4年前、1936年がベルリンオリンピック。
日本はまだ戦争をしておらず、世間はエログロナンセンスに浮かれていた。
日中戦争が始まったのは翌年。
南京陥落は景気の良い戦勝ニュースとして受け入れられ、提灯行列で祝われた。
お祭り騒ぎを待ち構える感じが、今の日本にもある。
ヤバい時ほど、ヤバいニュースに耳をふさぎたくなる傾向を反映するように、マスコミの報道がそうなっている。
いや、マスコミだけのせいなのか?
「何々を報道しないマスコミ」系の記事をよく見かけるが、報道しても見ない国民の裏返しでもある。
マスコミのせいにすることの「とりあえず感」を、最近感じる。
そして選挙には行く。