夜中、寝苦しさに何度も目を覚ました。6時半に起き、風呂に入って汗を流し、朝食にご飯、納豆キムチ、大根おろしを食べた。
柳沢健『1984年のUWF』読み始める。19XX年シリーズというべきか。UWFについての本はいくつも読んだし、今さら新しいエピソードが語られることはないと思いつつも、UWFの三文字を見るとつい読んでしまう。
昼、歯医者へ。治療ではなく点検とクリーニング。問題なかった。次回はひと月後。その次からは3ヶ月検診。これだけまめに検診してもらうのは初めてだ。
治療費を払う時に小さいチョコレートをもらった。歯の形をしたチョコだった。バレンタインデーとはいえ、歯医者が甘いものを配るとは珍しいと思ったが、キシリトール配合のチョコレートとのことだった。
10年前に初めてフルマラソンを走って以来、年に一回のペースでレースに参加している。最初の頃はサブ3.5を目指そうと、色々なトレーニングを試みたりしていたが、ここ最近は完走できればいいやという感じで走っている。
とはいえ、鍛錬を怠ると本番でひどい目にあう。
過去、割といい感じに走ることが出来たのは、2010年の淀川市民マラソンと、2012年の板橋Cityマラソンだ。
それらのレースの本番前およそひと月の間にどのくらい走っていたのか気になり、調べてみた。
結果はこうだ。
淀川
本番 10/11/7
本番前 10/10/5-11/5 距離161km 走行日数11日
板橋City
本番 12/3/18
本番前 12/2/12-3/14 138km 走行日数6日
淀川マラソンを走った2010年は、その年の3月に予定されていた板橋Cityマラソンが中止となったので、その大会のために走る習慣がすでについていた。2012年の板橋は、一年間ブランクがあり、なおかつ二つの芝居に関わっていたので、走る日数は少なくなったが、距離を長めにした。
他に参加した大会でも調べてみたところ、きちんと走れた大会では、大体130キロ台前後に収まっていた。
ダメダメ大会の時のトレーニング距離も調べた。
2014年の筑波マラソン時は、本番前ひと月の走行日数が5日で、距離が70キロ。去年は、走行日数が4日で、距離は70キロちょっとだった。
つまり自分の場合、本番前一ヶ月間の走行距離を130キロ以上にしておかないと、レースでひどい目にあうということになる。
130キロということは、10キロを3回、15キロを2回、20キロを2回、30キロを1回だ。トータル8回。30キロを2回走れば、10キロ3回は走らなくて良くなるから、トータル6回に減る。
経験的に、回数を増やすより、一回当たりの距離を長くして、休息をしっかりとった方が、タフな足を作れると思う。
夕方6時過ぎ、実家へ。夕食に餃子と青椒肉絲食べる。
『1984年のUWF』読了。
UWFは、84年に設立されたものと、88年にされたものとに分かれる。本書は前者にスポットをあてつつ、UWFとはなんであったのかを前後の出来事をふまえ、歴史ノンフィクション的に振り返っている。
観ている人が、これぞリアルファイトだと感動し拡散したことで、新UWFはブームになった。それは罪なことなのか疑問。
プロレスからリアルファイトを作り出そうとすることを、創造的なこととみていないところが不満だ。その不可能性を、結果から論じているように思えた。
人が戦っているところを見せる興行なのだから、知識のない観戦者にリアルファイト幻想が生まれるのは自然の流れではないか。リアルファイトではない、という否定が、リアルファイトへの渇望を生むこともある。
騙していたと思わせるような書き方には反発を覚える。
プロレスが八百長であるかどうかが問題になってくるのは、リアルファイトを謳うか否かにかかっている。しかし、ゼロ年代以降のプロレスを、リアルファイトにこだわって見ているファンはほとんどいないのではないか。
プロレスは、試合を作る芸術みたいな面があって、それは、八百長という言葉とは軸がまったく異なる。
佐山聡の功績を明らかにするという意味では、まことによき本だったと思う。
修斗が現在も存続し、世界にネットワークを広げていることだけが、旧UWF時代に佐山が持っていた理念は正しかったとする、唯一の証明なのかもしれない。
修斗はUWF、K-1、PRIDEのようなブームがなかったが、それゆえに地道に存続し得たのか?
そして、前田日明がOUTSIDERを10年続けていることは、過小評価されている気がする。
この本の成り立ち方も実にプロレス的だ。裏を取っている話とそうでない話を混ぜてノンフィクションに見せている。フェイクを混ぜてリアルファイトに見せるやり方そのものではないか。