散文の存在を感じる

6時起き。二日酔いの気配がかすかにあった。外は曇っていた。寝直そうかと思ったがグズグズしているうちに頭がすっきりしてきた。
トマトを4個収穫した。トータル71個になった。もうすぐバリー・ボンズの記録を追い抜く。
一方、きゅうりの実が育たなくなってきた。暑すぎるからだろう。それでも枯れる気配はないので一応見守っている。
トマトトーンスプレーをしていた花房のひとつに小さく実がつき始めていた。効いているのだ。ほっとした。
水耕容器にバケツ二杯の水を足すと、久々にあふれそうになった。

昨日しゃべりすぎたせいか、頭はすっきりしても気分は平均よりやや沈んでいた。疲れてないのに疲れたような、眠くないのに眠いような気がしていた。たまに集ってバカ話ができるのはけっこうだなあと思う。そういう組み合わせをいくつか持たせてもらえている。恵まれているんだな、オレは。

昨日話したことを箇条書きにしておく。

  1. 秀樹ロスはあったか
  2. ワールドカップ予想を外して賭けに負けた
  3. ミッツ・マングローブのヘアスタイル、メイク、ファッションセンスは抜群だ
  4. 嫁が夏休みなんかなくなれと言っている
  5. バブル世代の感じについて
  6. どの先輩にしごかれたか
  7. ある舞台で大げんかした女優二人
  8. ネットに「詩」らしきものをアップする奴について
  9. 知人サークルのどろっどろの男女関係について

朝食にトマトを3つ食べた。最近収穫した小さいサイズのもの。
志ん生の「火焔太鼓」を聞きながら初台へ。

昼、『ニッポンの文学』読む。
現実を知覚した後に散文が構築されるのに、我々はその散文を現実だと思いこむようになっているということが書いてあった。散文の成り立ちをそんな風に意識したことがなかったので、目が開かれるような思いがした。いま書いているこの文は散文だ。本当はこういう風に思った。

散文が悪者みたいだが、詩の解り方がわかった。詩は散文じゃない。感じたままだ。それがわからなかった。詩が読みたい。
小説は散文で、それを読んだ後、さらに解るために、頭の名で散文をこしらえている。解るためだ。いい悪いじゃなく、散文に囲まれているのだ。
小説を書く時、散文を作っているんだという意識、読者のためと、時針のための散文という意識を持つといいのかな。

感じたままに書くと順番が変になる。散文のように感じることは普通ない。詩を読んで、わからないと思うのは、わかるということイコール、内部で散文化しているからで、詩は、散文と対極にあるからだ。

夜、掃除と炊事と洗濯。家事だけする。