気持ち悪さとおばちゃんスイッチ

朝飯にバナナと豆乳。
ミニトマト鉢と干し網を外に出す。

川野さんからのZoomIDが、なぜかこちらの受信フォルダに見あたらず、SPAM扱いされていた。焦る。予定より5分遅れて参加。練習した演奏を見せる。拍子、勘違いしていたところを指摘され、その通りやってみると、ああ、なるほどそうだったかと、体感で解った。

サミットへ。
昨日買い物に来た時、自転車の鍵を店内で落としてしまった。家でスペアキーを探すと、大きさは同じだが見た目が違うキーが二つあった。
たぶん違うんだろうなと思いつつ、そのキーを持っていったが、鍵はあかなかった。

中華麺など買って帰宅。

昼、昨日作ったオリジナルラーメンが旨かったので、出汁をかつおと煮干しのコンビにしてもう一度作った。昨日より旨かった。

2時過ぎ、五日市街道を往復10キロ走る。歩幅を足のサイズ以下にし、時間をかけてゆっくり走った。

シャワーを浴び、昼寝しようとしたが、体が火照って眠れなかった。日が沈むまでゴロゴロした。

夕食に、豚肉と玉ねぎの炒め物を作って食べた。味つけは、塩胡椒、ニンニク、レモン汁。

二村ヒトシ『すべてはモテるためである』流し読みで再読した。こんな本を買う時点でモテない確定というロジックが語られているが、書いてあることを100パーセント理解したら、モテないメカニズムを理解し、以前より苦にしなくなるか、あるいは本当にモテるようになるだろう。

ただ、タイトルに惹かれてこの本を買ってしまうマインドの持ち主が、ひたすらハウツーを求めてページをめくっても意味はない。皮肉なことに、この本を読む必要があるのはそういう男たちなのだ。ゆえに、買っても理解できず、モテもしない人がたくさん生まれるという構造になっている。

そのへんは難しいところだ。表紙のイラストは可愛いが、もっと固い本の体裁にしてタイトルを変えれば、この本は、理解できる人の手により多く渡るだろう。しかしそういう人は、ある程度モテてるんじゃないか? だったら読む必要ないんじゃないか?

おれがこの本を買ったのは七、八年前だった。モテたかったからではない。上野千鶴子が解説を書いていることに驚き、さらに、最初のページに、あなたがモテないのはあなたが気持ち悪いから、という文が書いてあったからだ。自分の「気持ち悪さ」が出ちゃうとモテないという感覚が大変腑に落ちたので、こいつは読まねばと思ったのだった。

読んで以来、男の、つまり自分の気持ち悪さについて考えるようになった。その気持ち悪さを作りだす自分の性質が、これまで自分にさせてきたことの多くは、思い出すと「ぐわああっ!」と叫びたくなるほど恥ずかしいことばかりだ。

しかし、やってしまった以上仕方ないと、この本を読んでから思えるようにはなったので、いく分か楽にはなれた。最近では昨年12月にちょっとやらかしたことがあり、家に帰って「マカロニほうれん荘」のクマ先生みたいに「ノオーッ!」と悶え苦しんだがしかたねえ。

いや、別に誰かを口説いてたとかそういうんじゃなく、不意に自分の気持ち悪さが出ちゃって、それを止められなかったってだけなんだが、「ノオーッ!」の叫びから「ノオー……」のつぶやきに至るまでの間に、「だからあんたはモテないのよ」と、おれの中に住んでいるおばちゃんの声が聞こえた。

そういえば、自分の中にいるアニマを、「おばちゃんが住んでいる」と認識するようにななったのも、この本を読んで以降だ。それは、人格を乗っ取るとかいう類のものではなく、自分が男の「気持ち悪い」ところへ行きそうになる時、時々おれの代わりにしゃべったり書いたりしてくれる。twitterやインスタなどで、時々おれが女言葉になるのは、おばちゃんスイッチが入るからである。