放浪期

7時起き。足の状態は良かった。

自転車で現場へ。11キロ半走る。昨日の疲労をとるのに丁度いい運動になった。

午前中、アキモトさんに依頼された調査をする。

昼、ピーコックで買った鯖の唐揚げとひじきサラダ食べる

午後、自分用の関数を書く。

夜、実家へ。夕食に牡蠣の鍋物食べる。

母に、高校を卒業してからの就職について色々な話を聞いた。

結婚するまでに仕事先を三つも変えたのに、どの企業も一流企業で、しかもあっさり決まったのだという。最初に働いたのが大手出版社で、そこには三年ほど在職していたという。その後、製造系会社に転職し、そこも数年で退職。これには理由があった。女性の定年が二十代と決まっており、しかも結婚して退職する場合は退職金が高かったのたという。それで、同じく辞める同僚と語らい、みんなで結婚を理由に退職したのだとか。「相手は誰だ?」という人事の調査はなかったのだろう。のどかな時代だ。

で、最後に入ったのも製造業。ここは結婚する前までいたようで、何度か話を聞いたことがある。というより、高校を出てからずっとその会社にいたものだと思っていたので、二十代に二回も転職をしたという過去は意外だった。

しかも母の場合、転職の合間に演劇をやっている過去がある。最初に勤めた出版社時代に、担当となった作家さんのつき合いなどで舞台に触れる機会があったらしい。出版社ゆえに、先輩から映画や舞台に誘われたりといったことも多かったろう。おそらくその時に初めて、最先端の文化芸術に触れるという経験をし、転職の合間に『はしか』となって、わたしもやってみようと思ったのではないか。

当時は昭和30年代で、高度経済成長が始まって間もない頃だった。現在よりも仕事はいっぱいあったのかもしれないが、まだ女性の労働条件は厳しかったはずだ。そんな時代に次から次へと仕事を変えることができたのは、運が良かったとしかいいようがないだろう。

母は五人兄弟の末っ子で、兄弟の年齢差はみんな三歳である。そのため、兄弟とはいっても、一番上の伯母と伯父は、年齢がそれぞれ十二歳と九歳離れている。

そこまで離れていると、母が十代の思春期を迎えた頃にはすでに二人の兄姉とも成人しているわけで、知識や感性や情緒を育んでいく時期に、それほど近い存在ではなかったのではないかと想像する。

母が二十代の放浪をしている頃、父もまた転職をしている。これも、大企業を辞めての転職だったから、かなりの覚悟が必要だったか、あるいは、やけっぱちになるまで追い詰められていたかのどちらかだと思う。その後、定年まで勤めた会社に移るまで、どのような物語があったか詳しくは知らないが、それもまた放浪には違いない。

母と父はまったくタイプが違う人間だと思っていたが、二十代において二人ともそのような形の放浪をしていたという共通点があったのは意外だった。

そして、おれの二十代もまた放浪のようなものだった。当時、両親に就職を強くせっつかれたりした記憶があまりない。そうなる前に実家を飛び出したということもあるが、父が何も言ってこなかったのは、若い頃の自分をふまえての理解かと思っていた。しかし、母にしても二十代は同じようなものだったわけだ。つまり二人とも漠然とではあるが、若者のモラトリアムついて自分の経験を思い出しつつ、「まあ、そういうのって、あるよね」くらいの理解をしていたのではなかろうか。

そう考えると、我が家でそういった放浪をせず、人生行路のレールを着実に敷いて進んだのは、妹だけということになる。

1時就寝。