昨夜は宵っ張りで2時近くまで起きていた。それでも今朝は6時半に起き、ご飯と味噌汁と焼き鮭の朝飯を食べた。ご飯は先月炊いて冷凍しておいた鯛飯で、コンビニおにぎりよりも量は少ない。
自転車で現場へ。信号待ちが少なかったので記録更新かと思ったが43分かかった。ゆっくり走ったためだ。ゆっくり走ったから青信号とのタイミングが合ったのかもしれない。昔の羽根モノパチンコのVゾーンをくぐる玉になったような気分だ。
新ツールのテストはあら探しの段階になってきた。普通に使う分にはたぶん大丈夫だが、ユーザーがわざと想定外の使い方をした時の動作をテストする。
昼、ローストチキンとさばの太巻き食べる。イオン系スーパーで買ったのだが900円もした。ローストチキンのせいだ。大してうまくないのに高い。縁起物ですらない。これを暴利という。
『私をくいとめて』読了。映画と違う部分に注意して読んだが、そんなになかった。原作に忠実かつ映画的なシナリオだったのだろう。大九明子監督は同じ綿矢りさ原作の『勝手にふるえてろ』も映画化しているから、そっちも見たいものだ。Amazon Primeで見られる。ラッキー。
いや、実はAmazon Prime Video は厄介なのだ。いつでも見られると思っていたら視聴期間が終わっているということが結構ある。しかしあの手のコンテンツはどうしても「いつでも見られる」と思わされてしまう。かといって期限限定を謳われても、それなら見ないと思ってしまう。たぶん、ネットにあるというだけで、いつでも見られるモノとして脳が分類してしまうのではないか。昔、まだ家庭用ビデオさえ普及していなかった頃は、映画もテレビ番組も一期一会だったので、大好きな映画や番組を見る時間は大事にしていた。脳が自然にそういう状態になった。今後、ネットのコンテンツが解決しなければいけない問題は、いつでも見られる便利さと同時に、ユーザーがそれを見る時間を大切にするにはどうすればいいかを考えることだろう。サービスをよくすればいいという問題じゃない。脳の構造の問題だ。
そんなことはさておいて、『私をくいとめて』の小説は面白かった。映画のみつ子に比べると安定しているように思ったのは、温泉旅館の激情シーンがなかったのと、医者デートでみつ子よりもAが傷ついていたからだろう。Aがみつ子に正体を見せた時、映画では「ちょうどいい」という台詞をみつ子に言わせていたが、原作にはなかった。その台詞はシナリオを書いた大九監督がたったひと言でAを定義した見事な言葉だったのだ。
午後、フォームのレイアウト変更を終え、まだできてもいないデータのための仕組みを作った。なんとか今年中に仕上げられそうである。
6時半帰宅。夕食にフライドチキン食べる。
7時半、Zoom演劇に参加する。『かもめ』を読む。
1幕の一部分を少しだけ読むという形態で、チーム分けがされた。団体の役者さんが演技指導ということでつき、参加者の若い女性とワンシーンを演じさせてもらった。体裁としては本読みではなく演劇だったので、読み手ではなく演者としてどうするかということを主宰側の役者さんは考えているようだった。
やらせてもらった役はドールンだった。ラストシーンであの決め台詞をどう演技するかが、台詞術として大変難しい役だが、今日の読みではトレープレフの芝居を見る以前のドールンについて発見があった。彼は人生に倦んでいる。読んでいる時にその気持ちが自然に沸き起こった。だとすると、トレープレフの芝居に彼だけが感動した理由がしごく納得いくし、ラストのセリフを彼が言うという戯曲の構造が運命の皮肉のように感じる。そして喜劇とは運命の皮肉のことをいうのだから、チェーホフがこの作品を『喜劇』としたのもうなずける。
三回ほど読み、都度別々の景色が目に入ってきた。それに反応することが楽しかった。
その後、参加者全員のルームに移り、別の場面を順番に演じた。今度はソーリンをやらせてもらった。意地になったアルカージナが息子への不満をキーキー言ってるのをなだめるところを楽しく読ませていただいた。
思っていたよりもずっと楽しく参加ができた。10時過ぎ終了。
『かもめ』が「喜劇」であるということを演出的に考えた。
つまり、こういうことだろう。
アルカージナ 森光子
トレープレフ 西城秀樹(あるいは郷ひろみ)
ソーリン 伴淳三郎
ニーナ 岡田奈々
シャムラーエフ 伊東四朗
ポリーナ 悠木千帆(樹木希林と書かねばいかんかな?)
マーシャ 浅田美代子
トリゴーリン 細川俊之
ドールン 堺正章
メドヴェージェンコ 桜井センリ
ヤーコフ 由利徹
演出 久世光彦
細川俊之のトリゴーリンが笑える。ポリーナとドールンが名コンビ。ラストのセリフも堺しぇんしぇいが完璧に決めてくださる。
アルカージナは、本当は黒柳徹子がセリフ術的にベストだと思う。
シャムラーエフとメドヴェージェンコを誰にするかが難しい。70年代久世ドラマの範疇ということでシャムラーエフは伊東四朗、メドヴェージェンコは身長を考え桜井センリにしてみた。
このキャストであればいい、ということではなく、このキャストでさらに久世さんが演出した、と想像することが重要である。