「川のほとり」読んできた

8時くらいに起きた。

朝飯に、アボカドをコンソメとミルクでミキサーにかけたものを食べた。10年くらい前、夏などによく作った。当時使っていたミキサーが壊れてから作らなくなった。
ミキサーは昨年末に衝動買いした。今年も味噌を仕込もうと思っており、大豆をつぶすのに使おうと思った。大豆はすでに1キロ買った。麹はまだ届いていない。
一昨年の12月に仕込んだ味噌は、現在半分をタッパーに移し、冷蔵庫で保存している。味噌汁はこいつで作っている。素朴な味だ。時々、潰れきっていない豆粒がある。全体をしっかりつぶした方が発酵的にはいいんじゃないかと思い、それでミキサーを買った。
だが最近、きな粉に水と麹を足したら味噌になるんじゃないかと思うようになった。ネット検索をすると、Q&A系の記事で同様の質問をしている人がおり、「できます」とアンサーしている人がいた。
きな粉は大量に買えば実はそんなに高くない。お試しでやってみるか。

10時半過ぎに家を出る。荻窪中央図書館へ。昨年に改修工事を終え、内装が大変きれいになっていた。
地下一階に下りて雑誌コーナーから『新潮』二月号を出し、隅の椅子に座って読んだ。目当ては筒井康隆「川のほとり」

数ページの作品なので、5分とかからず読むことができた。息を整えてもう一度読んでから、雑誌を棚に戻した。
『泣ける』話の典型的な書かれ方はされていない。だから、そういうのを期待して読んだ読者は、肩透かしを食らったように思うかもしれない。
だが、こういうのを書けるようになったということは、息子の死を受け入れることができるほど『大丈夫』になったということで、それは息子を失ったことをひどく悲しまずに済むようになったということだ。
要するに、息子を少しずつ忘れつつあるから、書けるようになったのだ。その意識が前提にあるから、文章は冷静で、強い感情を吐き出すような表現は見られない。死んだ息子と三途の川で会い、穏やかな声で立ち話をする。それだけの話である。
しかし、だからこそ何気ないやり取りにハッとさせられる。伸輔さんが父に、子供のことをよろしく頼むと言い、父が任せておけと答えるところなど。なんていう、悲しいやりとりを、あっさりと落ち着いて交わすのだろうと思った。

これは、あとからきっとじわじわ胸にくる作品だなあと思ったので、いったん記憶に蓋をして、新しくなった図書館を見て回った。二階に調べ物コーナーがあり、勉強や調べ物をしている人はそこでPCやノートを広げていた。採光がよく、明るく、落ち着いた雰囲気の部屋だった。Enterキーを「カタカタ…ターン!」系の人はいてはいけないところだと思う。

図書館を出て『丸信』に向かった。しかしシャッターが下りていたので『春木屋』に行き中華そばの大盛りを食べた。うーん。やはりオレは『丸信』派だなあ。

西友に行き、ステンレス製の片手鍋と、フライパン用の蓋を買った。1階に降りてたい焼きを三つ買い、リュックに買ったものを入れたら、全部入った。一昨年買ってから、買い物に重宝しているシマノのリュックだが、今日ほど収納能力に驚いたことはない。

1時帰宅。

『女帝 小池百合子』読む。虚偽にまみれた半生を、エジプト留学時代から順に追っていく構成。ドキュメンタリーなのに、シドニィ・シェルダン『ゲームの達人』を読んでいるような気分になる。

買ってきたたい焼きを三時に一つ食べた。黒ごま餡。大変美味かった。『源楽』の饅頭、中村屋の中華まんなど、おれは黒ごま餡が好きなのだと再確認した。
となれば、どうやって作れるのかを調べたくなる。検索してみると、こしあんと練り胡麻をブレンドするレシピを見つけた。基本はそういうことなのだろう。

風呂に入浴剤を入れてつかった。

夜、もやしと牛肉の炒め物と味噌汁を食べた。

『女帝 小池百合子』読み進む。エジプトから日本に戻り、テレビの世界に入り込み、キャスターに転身し、政界に身を投じるまで。やはりシドニィ・シェルダンっぽさがすごい。

1時就寝。