3時半起き。早すぎたので5時まで二度寝した。
5時に起き、歯を磨き、荷物をまとめてカプセルホテルを出た。
5時25分発の天王寺行きに乗った。予定では50分発のに乗るつもりだったが、早いのに越したことはないのでそれに乗った。
6時16分に和泉府中に到着。京橋行きに乗り換えた。
『審判』を読む。残りページは少なかったが、集中力が途切れ、なかなか読み進められなかった。
6時58分、大阪駅到着。
新梅田食道街の『潮屋』へ。朝飯に、きつねうどんといなり寿司を食べた。朝7時を過ぎたばかりなので、食道街のシャッターはほとんど閉まっていた。
食べ終わり、大阪梅田駅周辺を歩いて、阪急の風格を味わった。
小林一三の功績に思いをはせた。もし阪急がなかったら、大阪は日本第二の都市になっていなかっただろうし、東京の東急沿線や西武沿線の発展もなかっただろう。となると、東急と西武資本がモロに投下された渋谷の発展もなかろう。
7時半の新快速米原行きに乗り、今日の予定を考えた。お昼までに浜松へ行き、うなぎに舌鼓を打ち、熱海へ行き駅前で夕食を食べて温泉街をフラフラし、遅めの東海道線で東京に帰る積もりだった。しかし、天気予報によると、紀伊半島の南で昨日か一昨日発生した台風メアリーが、今日の昼から夜にかけて浜松や伊豆を通って首都圏に上陸するらしかった。お昼の浜松や夕方の熱海など、モロに直撃だ。
で、ルートを変更することにした。名古屋まで東海道線を使い、そこから中央本線で塩尻へ行き、甲府、大月、高尾と、一昨日とは逆のルートを辿るのだ。台風の影響は、なくはないだろうが、木曽山脈、南アルプス、富士山などが間にあるから、海沿いよりはよほど影響は少ないだろう。
9時18分に米原到着。特別快速豊橋行きに乗り換える。スマホの明かり設定を自動から暗めに変更した。ついつい見てしまうその繰り返しが、バッテリーの保ちに結構影響を与えるからだ。買ってからもうすぐ3年経つのでそろそろ電池の老化が目立ってきている。
『審判』読了。
大学を卒業する前に読んで以来の再読。長編の体裁をとってはいるが、実質的にはオムニバス短編集だと思った。ゆえに、未完の短編も含まれている。ヨーゼフ・Kという銀行員が、理由が不明のまま起訴され、よくわからないまま最終的には死刑になるという話だが、誰が何のためにKを告訴したかということを、結局誰もわからないまま裁判が進んだという感じが、出版された当時、読者にリアリティを感じさせたのではないかと思う。執筆されたのは1914年で第一次大戦より前だが、刊行はカフカの死後、1925年らしい。戦後7年目で、ドイツはハイパーインフレからやっと立ち直った頃だ。当時のドイツの人々は、この作品を受け入れるのに最適な心理状態だったのではないか。
名古屋で中央西線に乗り換える。中津川行き。
中央西線は思った通り、台風の影響は感じられず、山々と田園風景と青空が延々と窓の外を横スクロールしていった。
12時8分に中津川到着。次の電車松本行きは14時過ぎだったので、この街で昼飯を食べることにした。
事前に調べておいた『山品』といううなぎ店に入った。12時を過ぎて間もないためか、店には客が一人もいなかった。
特選まぶしというひつまぶしと、白ワインを頼んだ。電車の旅は食事ごとに酒が飲めるのがいいところだ。
料理がくるのを待っていると、店主が来て、今夜行われる祭りについて話してくれた。天候次第では中止で、本来ならもう結論が出ているはずだったが、天気予報がどうなるのかわからないため、やるのかやらないのかまだわからないのだという。雨がふると太鼓が濡れるため、業者がいやがるのだとか。
その話を聞いた直後、季節常連らしい男性客6人組がきて、楽しそうにうな丼とビールをを頼んでいた。おっちゃんは厨房に「洗剤入れて泡立ててやって」と声をかけていた。「死にますわ」と客の一人が言っていた。気さくなおっちゃんだった。
うなぎは、関西風の焼き方のようで、蒸してふっくらさせるのではなく、焼いて味を凝縮させてあった。2杯目からうなぎ茶漬けにしたが、香ばしさが茶漬けによく合った。
店を出て、近くのショッピングモールに向かった。そこに書店が入っているようだったので、車中で読む本を買おうと思ったのだ。本がないと、景色を写真に撮るか、スマホを見るか、寝るかの三択になる。どうしてもスマホの時間が長めになるので、読む本があった方が移動には有り難かった。
書店の文庫本コーナーをのぞいて驚いた。読みたい本があるとかないとかいうレベルではなく、本の数が驚くほど少ない。当然、欲しい本はまったくなかった。アガサ・クリスティのまだ読んでないミステリーか、カズオ・イシグロの文庫本なら買ってもいいかなと思えたが、それぞれ値段が1000円以上もした。
結局、買うのをやめた。
写真を撮りながら駅に向かった。駅前の観光案内ビルに入ると、土産物を色々売っていた。和菓子が多かった。中津川は老舗の和菓子屋が多いようだ。
『松葉』の栗きんつばと、『恵那福堂』の栗どら焼きを買った。
14時15分の松本行きに乗った。
天気は相変わらず良かった。やはり中津川から塩尻までは木曽山脈の西側を通るため、東に向かっている台風の影響を受けづらいのかもしれない。
16時21分、塩尻に着いた。
16時59分の大月行きに乗るまで30分以上時間があった。そこで、駅弁と本を買いに行くことにした。
駅を出て、『カワカミ』というお弁当屋に向かった。しかし、人の気配はなくシャッターはしまっていた。本日休業らしかった。
中津川と同じように駅から500メートルほど離れたところにショッピングモールがあり、そこに書店が入っていた。多少、祈るような気持ちで書店に向かった。
中津川の店より文庫本はたくさん置いてあった。ただ、店から駅までの往復時間を勘定に入れると、電車の待ち時間30分は心許なく、本を選ぶ時間はほとんどなかった。
吉村昭『羆嵐』を買った。旅行中に買う本として適当だとは思えない。もし北海道を旅行している時に選んだら最悪だろう。でも、これなら買ってもいいと思った。
駅に戻り、16時59分の大月行きに乗った。
本は買えたが、駅弁は買えなかった。大月の到着時刻は19時48分だった。何とかどこかで駅弁を買い、できればビールなど飲みたかった。
ネットで、乗っている列車の発着時刻つき時刻表を調べた。すると、富士見駅と日野春駅で10分ほど停車することがわかった。もしそれらの駅に売店があれば、駅弁とまでいかなくても、おにぎりくらいは売っているかもしれない。買えたらそこで買おうと思った。
富士見駅は、ネットで調べたところによると、駅のホームに小さい立ち食いそば屋があるらしかった。しかし、駅で降りてみると、そば屋は閉まっており、駅周囲には飲食を売っている売店はなかった。
日野春駅は、下りたとたん何もないことがわかった。しかし、停車している時がちょうど日が沈む時間帯だったので、一眼レフで写真を撮った。
こうなったら東京に戻るまで飯抜きかなあと思ったが、甲府の発着時間が気になった。4分しかなかったが、甲府のホームには駅弁専門店があるのだ。あいたドアの目の前に店があれば、すぐ買って電車に戻れるかもしれない。
駅弁販売店の位置は、甲府駅ホームの真ん中やや後ろにあるようだった。乗っている車両は一番前だったので、甲府駅の一つ前、竜王駅を過ぎてから、車両の後ろの方へ財布を持って移動した。
電車が甲府駅ホームに入る時、目で駅弁の店を探した。ちょうど自分が移動した車両が店の前に止まった。停車時間は4分という車内アナウンスが流れ、ドアが開いた。
駅弁屋に突進し、在庫弁当をチェックする。選んでいる時間はないので、置いてある弁当のうち、いかにも駅弁という長方形のフォルムをしたものをレジに持っていった。鰈の西京焼き弁当だった。
次に、隣の売店で缶ビールを手に取った。しかしレジには誰もいなかった。ちょうど店員さんがレジの外に出て商品の並び替えをしているところだった。店員さんはオレに気づき、レジの中に入った。500円玉を渡す。しかし、一度レジがピーッと音を立てた。コインを受付てくれなかったようだった。店員は首をかしげた。焦る。
店員さんはもう一度500円をレジに入金? した。今度は無事にお釣りが出てきた。受け取り、すぐに車内に戻った。発車ベルはまだ鳴っていなかったが、残り1分を切っていた。
自分の席に戻った頃、ドアが閉まり、列車は甲府駅を出発した。席に座り、戦利品ともいうべき駅弁をあけ、缶ビールの蓋をあけた。大変気分が良かった。
大月までの時間、ゆっくり駅弁を食べ、ビールを飲んだ。食べ終わり、飲み終わると、大月到着まであと20分になっていた。
大月駅のホームは、強い雨が降った跡があった。しかし雨はもう降っていなかった。天気予報を見ると、台風は伊豆半島を通り過ぎ、東京23区がちょうど大雨になっているところだった。東海道線は運転を見合わせていた。ルートを変更したのは大正解だった。
大月で東京行きの中央線に乗り換えた。どこかで雨に追いつくかもしれないと思っていたが、高円寺に着いた時は、たった今雨がやんだという感じの天気になっていた。昨日新宮で買った傘は、結局ほとんど使わなかった。
自転車を駐輪場から出し、ドラッグストアでハイボールとポテトフライスナックを買い、9時40分帰宅。台風をまんまと出し抜いたことと、短い時間で駅弁を購入できたことが、今日のハイライトだった。
中日は阪神に完封勝ち。昨日は大野雄大が完封。今日は小笠原とマルティネスがリレーした。
風呂に入り、少し日記を書くが、眠気に襲われ、1時就寝。