7時半起き。朝飯に、ご飯、お煮しめ、納豆食べる。
能登地震の被害が徐々に明らかになった。輪島の被害がもっとも甚大で、朝市の区画が火災ですべて炎上していた。津波が北陸地方の川をさかのぼる映像を見た。沿岸部の映像がなかったのは、避難が徹底されていたからではないか。
母、午前中、ウォーキングに出かけていった。その間、こっちもランニングしようかと思ったが、行くタイミングを逃し、家にいた。
昼飯は食べず、昨日母が年始先の八王子でもらってきた菓子を食べた。妹の義父は母よりふたつ年上で、今年88歳になる。耳が遠くなっているのに、補聴器をするのを頑なに拒んでいるらしい。帰り際に習近平の悪口を言っていたそうだ。「話合わせといたわよ」と母は言った。
妹の義父はオレにとって『向こうのお父さん』という呼び名になるらしい。ネットで調べた。数年前、妹が愚痴をこぼしていたが、年を取るごとに頑なさはカチカチになっているようだ。習近平の件もそうで、この人はとにかく、中国と韓国についての悪口がすごいらしく、向こうのお母さんが韓国ドラマを見るだけで苦言を呈するようだ。
しかし、妹が結婚した頃を思い出すと、そういう印象はなかった。元からそういう傾向はあったのかもしれないが、表にでることはなかった。年を取り、世の中と自分の接点に乖離感を抱き、おのれのレイシスト的資質にすがりついて、岸から離れていくような不安感に抵抗しているように思う。補聴器をしない頑固さもその流れだろう。
母、午後は友達の家に行くという。今日86歳になったというのに、スケジュール帳が真っ黒な正月を送っている。結構なことだ。作ったお煮しめは、ちらし寿司の具にすると言っていたので、今日の夕方はそれにしようと言うと、「でも、出かけて帰って来て支度するのは面倒くさいから、明日にする」と母は言った。
母が出かけたあと、お煮しめの残量を調べた。ちらし寿司にするには若干多いようだったが、具に不適な里芋を除けばちょうど良さそうだったので、保温されているご飯と冷凍ご飯を使って酢飯を作り、お煮しめの具を刻んでちらし寿司を作り、冷蔵庫に保存した。
4時前、旧江戸川河口へシーバス釣りに行く。自転車に乗っていると手が冷たかった。
舞浜大橋の北側に陣取る。釣り人は、多くはないが、真冬のわりにけっこういた。
明るいうちはバクリースピンを投げ、暗くなってきてからはワームを投げた。潮は上げていた。何度か、上流側で大きなボイル音がした。ボラジャンプではなかったが、それでも、シーバスではないような気がした。だったらボラしかないのだが。
昨年5月以来、7ヶ月以上シーバスが釣れていない。これは、継続的なシーバス釣りをするようになった2021年9月以来、タイ記録である。おそらく今月も、絶対、必ず、徹底的に、シーバスは釣れないだろうから、間もなく記録は更新されるだろう。
しかし、気がつくとバチ抜けシーズンが間近に迫っている。2月からは大潮まわりの日没後を狙って釣りに行くことになるだろう。
5時半前に納竿した。
実家に帰ると、母が、「ちらし寿司用にご飯炊いたわよ」と言った。「もう作っちゃったよう」「うそ!冷蔵庫の中見なかった」
結局、新しく炊けたご飯はそのままに、ちらし寿司と、もやしきゅうりハムのサラダを夕食に食べた。
帰宅した直後、羽田空港で事故が発生した。風呂に入り、サラダを作り、夕食を食べようとした時に、テレビでその映像を見た。着陸するJALの飛行機が、海上保安庁の飛行機と接触し、燃料に引火した燃え上がっていた。映像は、リアルタイムのもので、燃え上がる旅客機の消火作業が行われていた。
そして、旅客は全員避難したということだった。奇跡だと思った。ただ、保安庁の飛行機は、機長が脱出したが、他の5人の安否は不明だった。原因についてはまだわからなかった。
昨日は地震、今日は羽田の事故で、正月番組のほとんどがなくなってしまった。毎正月、母は『月曜から夜ふかし』の特番を楽しみにしていたのだが、昨夜の放送はなかった。
地震と羽田のニュースについて、あらかたテレビから情報を得てから、スマホを今のテレビにつなぎ、持っていた録画番組を再生した。その後、Youtube で、You とマツコ・デラックスが対談している映像を再生した。ネットコンテンツだと、マツコのツッコミは、テレビよりも鋭く辛辣になるのだが、最後の最後でとどめを刺さないバランス感覚もあり、その加減を久しぶりに楽しく堪能した。
11時ごろまでYoutube再生を母と見て、自室に戻り、12時まで部屋にある本をテキトーにめくり、就寝。