蓮舫に吹く風

3時起き。エアコンのタイマーが切れ、部屋が暑くなったためだった。

明るくなってからゴミ捨て場にゴミを出した。昨日廃棄したメロンや、トマト水耕で使っていた金網ざるなども捨てた。

気温が下がった夜のうちに、トマトの萎れていた部分は、大分元気を取り戻していた。

6時にエアコンをつけて二度寝した。

10時過ぎに二度起きした。

朝飯に、お粥、塩辛、納豆、小松菜と油揚げの煮浸し。食べ終わると汗が瀧のように流れた。

トマトの様子を見る。早朝、回復したと思っていた先端部は、また少々萎れかかっていた。しかし、一時的に萎れている部分と、完全に萎れた部分とに分かれていた。

完全に萎れた部分は、茎が途中から折れていた。ほどなく、そこから先は枯れるだろう。そうなっているのは先端部分だけだったが、これはつまり、全体的に摘芯をしているようなものである。

一昨日から昨日にかけての全体萎れによって、先端に近いところに咲いていた花も影響を受けた。受粉せずにそのまま枯れてしまったのだ。これは大打撃だ。実になる予定だった花の多くが着果せず枯れてしまったのだから。

エアレーションだが、ブクブク音を聞く限りでは、エアストーンが容器の底に沈んでいないようだったので、おもりを買いにいくことにした。

おもりは何がいいか考えた。思い浮かんだのは、釣りに使うおもりだった。エアストーンとチューブをつないでいる部分に結びつければ、難なくストーンを底に沈めてくれるに違いない。

しかし、釣りのおもりは鉛でできていることが気になった。鉛じゃないおもりもあるが、値段は少し高いはずだ。

外に出て自転車に乗り、どうしようかと考えた末に、まずはホームセンターに行ってみることにして、方南町の島忠ホームズに向かった。

大きめのナットがいいんじゃないかと、自転車を漕いでいる時に思ったので、地下1階のねじコーナーに向かった。色々見て、エアチューブがぴったり通るくらいの長めのナットを見つけたので、それを四つ買った。

ナットは磁石がくっつくので、外側からネオジム磁石にくっつけて底に沈めるのもいいと思い、中野富士見町のダイソーに向かった。しかし、ちょうど良いサイズの磁石がなかったので、家の冷蔵庫にある磁石を使えばいいと思い直した。

1階のオオゼキで、桃、メロン、フルーツケーキ、コーラ、ラムネ、料理酒を買った。

帰宅し、エアストーンを底に沈める作業を行った。チューブからストーンを外し、チューブにナットを通すと、あつらえたようにぴったりだった。そこにストーンを取り付け、容器の中に沈めると、重さでストーンは底の方に沈んだ。

しかし、沈んだストーンが出す空気の泡が小さかった。深いところに沈めると、水圧のため出るエアーの量が少なくなっているように思えた。

四つのエアストーンのうち一つだけ、ストーン部分を壊してエアーがそのまま出るようにし、ストーンについていたチューブとの接続部品をナットのストッパーにして、容器の底に沈めてみた。すると、他のエアストーンとは比べものにならないほどの大きな泡が、底の方から浮き上がってきた。

考えてみれば当たり前だ。ストーンは細かい泡を沢山出すためのものだが、抵抗があるから、ポンプが出すエアーの量をいくらか削いでしまう。ストーンなしでチューブから直でエアー出るとなったら、無抵抗になるから量は増えるだろう。

他の三つのストーンも同じように加工し、容器の四つの角に沈めた。空気が底の方から大きな音を立てて上がってきた。水を循環させるという意味では、これまで水耕栽培をやってきた過去7年間で最良の状態だと思った。

エアレーションのこうした改修が必要だと気がついたのが、あと三日早ければなあと思った。記憶にある限り、ここまで酸素供給がばっちりの状態で真夏を迎えたことがないので、この状態で真夏に結実ができるかどうかが気になる。もし8月に結実ができたら、勝負はまだわからない。

が、例年通り真夏は結実せずだったら、今年のトマト栽培はおそらく、2020年よりも少ない収穫で終わるだろう。

午後、止めどなく流れる汗を、首からタオルを下げて拭き取った。2時間くらいそうしていたら、タオルが汗を吸って重くなった。

天気予報で知っていたが、夕方4時過ぎくらいから、濃いめの雨雲が北西からやってきて、23区西部に派手な雷雨をお見舞いした。雷は近所に落ちまくり、部屋の電気が一瞬消えた。

5時、テレビで、新しい学校のリーダーズが出る音楽番組を見た。やった曲は「Arigato」だったが、番組はこの曲を「自画自賛ソング」と紹介していた。違和感を覚えた。他にも、5月にやったニューヨークのライブでRINが転倒したことをメンバーに話させたりしていたが、これって、お笑い枠タレントのドジっ子エピソード扱いじゃないかと思い、イヤな気持ちになった。

歌の部分は、客席が四方を取り囲んでいたが、カメラに映っている客はメンバーを後ろからしか見られないということが気になった。なぜそんな配置にしたのだろう。演出効果もないのに。

他のアーチストが歌う場面も見たが、扱いとしては誰もが同じだった。ぞんざいで、急かされていて、理解されていなかった。番組を作っている人は、何かを表現しようと思って作っているわけではないんじゃないか? この番組の場合、ライブの興奮を伝えることは、他のテーマがどうであれ必須義務だと思うが、見た人が色んな出演者のパフォーマンスを見て、コンサートに行ってみようとは、間違っても思わないはずだ。また、今までライブに行ったことがない人がこの番組を見ても「一生見なくても、別に困らないし」くらいしか思わないだろう。

そうこうしているうちに、雷雨の第二陣がきたので、風呂に入って音をやり過ごした。上がると、雷雨は収まっていた。

買い物に行き、コーラと、クリアアサヒを買った。

クリアアサヒを飲み、昼に作った小松菜の煮浸しを食べた。煮浸しは醤油ではなくしょっつるを漬かったのだが、ちょっと塩辛かった。

Xで、蓮舫への支持が追い風傾向となっていることを感じる。期日前投票で蓮舫に入れたという人が目につくようになったし、中には知り合いもいた。

実際、オレもそうした。しかし、明確な理由はない。掲げている政策を支持したわけでもない。そもそも、政策で誰に投票するかを決めるなんてことはしない。結婚にたとえてみればそうなる。

なぜ蓮舫に入れたのかというと、現知事をチェンジするという目的のためにもっとも適した候補であると思えたからだ。持ち札で勝負を続けるのは無理だ。場の札をめくらないといけない。となると蓮舫だった。他の候補者は要するに「こんな勝負なんか意味はない」「テーブルなんかひっくり返してしまえ」系に思えた。

都知事選の選挙くらいで世の中が劇的に変わるなんてことは、絶対にない。ありえない。だから、劇的変化を公約に掲げる立候補者は無視した。すると、面白みのない公約と候補者が残りがちになる。だから、公約なんて無視していい。あるいは、それやるなら投票しないという、マイナス要因として取り扱えばいい。

蓮舫への追い風は、選挙対策の効果でもないし、公約が魅力的だったわけでもない。今回、都知事選で色々なことがあり、我に返った民が、候補者を理屈ではなく本能で選んだ結果、沢山の無意識がいつの間にか蓮舫を選んでおり、それが、ここ数日のムーブメントを生んでいるような気がする。

分析は無意味だ。Youtube とかで分析動画が公開されるだろうが、見る価値があるのは、民の意志が選挙において発動されたことについて論じたものだろう。それは一体、いつ以来なのか?

この『民の意志』絡みに、日本人は何かという問いに答えるヒントがたくさん詰まっているような気がする。なぜあなたは蓮舫に投票したのかという質問を、都民一人一人にしてみるといい。

しかし、志井さんが蓮舫を支持している状況は、異次元的な光景だった。