同情するという差別

7時起き。

9時半から作業。明日、現場に赴く予定なので、コード整理などは明日に回すことにした。となると、やることはない。

昼、母からメール。銀行に入れっぱなしにしてあるお金があるなら、半分くらいインデックスファンドに預けておけば、何年かに一回補聴器を交換するくらいの利益は出るんじゃないかと思い、証券会社の口座開設を手伝ったのだが、案内が届いた途端、株や投資信託はギャンブルだからやりたくないと思ったらしい。そのあたり、具体的に説明するのも面倒だし、今のところ年金と持ち家で、生活に困っているわけではないので、放っておいてくれと返信した。

世代的に、母の年金受給額は、オレが将来受給される額を凌駕している。また、母の育った昭和末期は、郵便貯金や銀行の定期預金の利息が、今の常識では考えられないほど高かった。しかも母は、銀行に勤めていた経験もある。

もう、そういう時代ではないという事実は、現時点で昭和の年金利益を得ている母にとっては、馬耳東風以外の何物でもないかもしれない。変な詐欺師みたいなのにひっかかることさえ気をつければいいわけだが、そういう意味では、オレが勧めたインデックスファンドの話に拒否反応を示すのは、正しい反応なのかもしれん。もったいないなあと思うけれど、しょせん他人のタンス貯金だ。

『小山さんノート』を日曜から読んでいる。新宿中央公園のテントで暮らしていた女性が、何十冊ものノートに書き残した文章の記録で、彼女の存在を知った人達が、ノートの解読とデジタル化を進め、出版に至ったようである。

小山さんは、イベントのチケット購入を代理で並ぶ仕事や、古本屋で本を売るなどして得たお金で暮らしていた。喫茶店へ行き、文章を書いたり本を読んだりする時間を大事にしており、残した日記はその時に書かれたものと思われる。

日記は2000年前後から2004年までのもので、もし自分が同じ境遇に置かれたらと想像しながら読むと、息が詰まってきた。

しかし、そういう読み方は、他人事として同情する読み方なのだと思う。デジタル化に参加した女性たちは、小山さんのことを、私と同じだ、と感じたからこそ、この人が生きてきた証しとなるものを残そうと思ったのではないか。

自分がそういうふうに読めなかったのは、男だからかもしれない。そして、小山さんに暴力を振るった『共の人』も、テント暮らしに入る前だったら、人ごとみたいな同情をして、テント前を通り過ぎていたかもしれない。

同情していた人達と同じ存在に自分がなった時の心理として、共の人が狂うのはわかる気がする。

同情は共感ではない。辛い境遇にある人を見聞きして、自分がそうでないことの安堵を前提にした同情は、差別だ。

夜、『白い巨塔』23話見る。柳原は死んだ佐々木一家が気になり、付近をうろちょろしている様子。関口弁護士(児玉清)はあらたな証人を得るため奔走。佐枝子は、佐々木の手術当時に看護婦だった君子が、証人になれそうだと判断。里見に報告する。里見嫁はそろそろ佐枝子が怪しいと思い始めている。

よくよく見ると、田宮二郎はろくに芝居をしていない。演技の手数が明らかに減っている。代わりに、シナリオを変更して、里見関連の描写を増やしたのかもしれない。

12時前就寝。