舞台美術の日

7時半起床。
レンタカーに行ってロングバンを借り、家の近くのパーキングに停める。
いったん家に戻り、チケット関係の確認をネットで済ませ、荷物を持って車へ。
暑い。確実に真夏日だ。

9時過ぎ、仲澤さんを西荻近くで拾い、そのまま尾池さん宅へ照明の積み込みへ。
シャッターが開き、尾池さんは車を一瞥すると、一瞬なにか言いたそうな顔をした。

仲澤さんと二人で積み込みをする。
これは奥に寄せてこれは手前に、などと考えていると、出し抜けに尾池さんが言った。
「以上です」

車載量の5分の1ほどしか使ってないほどの、積み荷の少なさだった。
仲澤さんは記念に積み荷を写メしていた。

五日市街道経由でザムザ入り。
仲澤さんとPerfume談義に花を咲かせていたら住宅地で軽く迷い、10時丁度の到着となった。
おろし作業はあっという間に終わる。

照明の星ちゃんから、積み忘れた機材を取りに行ってほしいと言われる。
舞監さんに了解をとり、もう一度尾池さん宅へ。
置いてある場所がわからなかったので、劇場の星ちゃんに確認の電話をして、機材を積み込む。

劇場に戻り機材をおろし、車をレンタカーに返却する。
電車でザムザに戻ると、美術のタタキ説明が始まっていた。

潮田君と受付関係の確認をしてから、階段のところで制作関係のメール。
そこでないと電波が入らなかった。

照明のヘルプに奥田さん来ていた。
お久しぶりですなどと挨拶する。

美術の建て込み作業は夕方近くまで続いた。
残りの作業を考えると、明日の場当たりが時間的にシビアだ。
客席最上段に座り、明かりと舞台の仕込みを俯瞰しつつ、場当たりのきっかけをまとめる。

きりのいいところまで建て込みが進んでから、照明に場所を明け渡す。
(今度は光をクリエイトする時間だなあ)
と思う。

スタッフの一人として考えると、自分の役割は作者と演出家である。
作者の役割は、舞台の世界観を言語化することだと思う。
それだけではないのかもしれないが、自分はその点を意識するようにしている。
演出の役割は、言語化された世界観を、出演者と各スタッフが共有できる形に翻訳して示すことだと思う。
翻訳されるのは言葉にだけでなく、チャート、絵、身振り手振りも含まれる。

自分はスタッフの仕事を手伝い以外で修行したことは一度もないから、専門的な話になるとわからなくなる。
この目で見ないとわからないから、時間がかかる。

だからスタッフが創造性を発揮できる魔法の言葉をいつも探している。
イメージが喚起され、
(それならあそこをああやって…)
と具体的な手段を考えてくれるような言葉。
そしてその言葉から、演出の自分も新たな気づきを得て、役者にフィードバックさせていくような言葉。

魔法の言葉を見つける方法論を構築するのが、演出としての自分のライフワークだ。
まだ、青い。

10時に退出。
暑い中お疲れさまでしたと礼を言って解散。

10時半、荻窪の駐輪場へ行くと、後輪に錠前がかけられていた。
3日以上置きっぱなしにしたせいらしい。
明日の朝係員に解錠してもらわないといけない。
これが、本日起きたもっとも悪いことだった。
3年前の『ドッペルゲンガーの森』に比べたら、軽い軽い。

11時帰宅。
シャワーを浴び、エクセルで場当たり表を作成する。
2時就寝。