6時起き。朝飯にコーンフレークとミルク。
植木鉢の水やりをし、燃えるゴミを捨てに行く。
Amazon Prime で『ナミビアの砂漠』見る。山中瑶子監督。河合優実主演。河合優実演じる21歳のカナが揺れ動く映画。自分探しではない。男を替えてみたり、つき合ってみたらなんかつまらなかったり、イライラが溜まって失言し職を失ったり、心療内科の診察を受けてみたり、彼女の日々が惑いの軌跡のような映像として流れていく。前半、別の男であるハヤシに鞍替えする瞬間の「いいよ」という言い方や、ハヤシの両親や親戚がいるバーベキューで話を聞いている時の本当は絶対つまらないと思っているだろう笑顔を浮かべるカナの芝居にびっくりした。
後半、ハヤシが過去に女性を中絶させた証拠写真をカナが出す場面以降、しばらく不愉快な気持ちになった。自分がハヤシの立場でそこにいたらどうなるだろうと想像すると、感情が荒れ狂う予感があった。しかし、それは結局、ハヤシに対するカナの荒れ狂いと同じである。悪とは、この惑いから逃げるための、キャラクターパターンの一つかもしれない。悪に逃げれば、楽は楽だが、もう戻れない。人は、楽になるため、悪に至るのかもしれない。
心療内科のweb診断のあと、ハヤシとカナはのほほんとデート歩行なんぞをするが、直後のシーンでまた喧嘩。小休止みたいに食事をし、カナは中国人家族とスマホカメラで通話し、ニイハオなどと話している。その会話で気になった言葉があったハヤシが、「○○って何?」と聞き、知らないとカナが答えて、映画は終わった。
河合優実の芝居は、三十代くらいの女優さんにとって脅威ではないか。タクシーで気持ち悪くなって窓の外に吐く場面があったが、体当たり演技感がまったくない。若い女の子が車の中で気持ち悪くなって吐いたという事実だけが見えた。
昼飯に牛すじカレーを食べ、走りに行く。五日市街道を西へ。環八を渡り人見街道から東八道路へ。牟礼を過ぎ、新川のあたりで再び人見街道を走り、片道7.7キロほどで往復。15キロ。暑かったためか、終始バテ気味だった。格好も、下にインナーを着込んだ上下ジャージだった。5月の黒部マラソンに向けて暑熱順化するためだ。
風呂に入ったが、いつもよりバテていた。小一時間ほど寝た。
5時50分、家を出る。優しい劇団の公演『絵本町のオバケ屋敷』を見るため、歩いて高円寺K’sスタジオへ。6時10分頃到着。体の水分が足りていないと思ったので、自販機で飲み物を買い、道の端で飲んでいると、先に到着したお客さんに声をかけられた。舞台美術家の松本さんだった。驚いた。松本さんは、来年の頭に優しい劇団の公演を関西でプロデュースしており、その下見と打ち合わせを兼ねて見に来たそうだ。会うのは8年ぶりだった。メガネをかけず、痩せていたので、まったく気がつかなかった。
一緒に見る約束をしていたなべさん来る。6時半開場。舞台は素舞台で客電は蛍光灯。出演者は舞台側の壁にもたれて座ったりしている。緊張感がない感じ。主宰の尾崎さんが前説を延々としている。客席は80席ほどらしい。
5分ほど押して開演。完全暗転のあと、照明は手持ちのLEDライトを使い、演技をしている役者をその都度照らしていくという方式だっだ。照明を担当しているのは劇団員なのか、黒子のように場面に寄り添いながら明かりを当てていた。音響は主宰の尾崎さんがスマホでいれていた。そのスマホで台本テキストも追っているようで、台詞に詰まった役者が手を上げるとプロンプを入れるというシステムだった。
稽古をしていないことを前説で言っていたが、各役者はそれぞれ台詞を与えられ、事前に覚えてきたらしい。当たり前だ。合わせるのは今日が初めてだという。そういう意味で、稽古をしていないということになるのだろう。
そこに、役者サバイバル的な緊張感はなかった。台詞を詰まってもいいというシステムでの上演なので、プロンプターに台詞を言ってもらっている間に役から離れても、元の役に戻る時、あちゃー、みたいな気持ちになって芝居が落ちることがなさそうに見えた。
テント芝居を連想した。台本や演出によってではない。前説によって、この空間にいる役者と客に一種の連帯感が生まれるように仕向けられたことで、それは1960年代のテントによるアンダーグラウンド演劇の黎明期において、外でデモをしていた体感のままテントに立てこもったことによる連帯感と、似ているのではないかと思ったからだった。
70分ほどで上演終了。ラスト、主人公の女性が何か言いかけた瞬間に明かりが落ちる演出が良かった。
終演後、なべさんと東高円寺の焼きとん屋で飲む。なべさん、終演後に「すげえな」と言っていたが、それでも、一回でいいとのこと。「やっぱりオレは、ちゃんとしてるのが見たい」らしい。この場合の『ちゃんと』とは、舞台美術、照明、音響、衣装、舞台監督、宣伝美術など、スタッフがそろっていて、台本も役者も面白くて、演出も練られているものという意味だと思った。実際にすべてが『ちゃんと』している公演は小劇場に多いとはいえないが、常にそういう指向性を持ち続けるというのが、なべさんの矜持なのかもしれない。
それは、わかる気もするが、『ちゃんと』というのは曖昧な言葉だ。誰が使っても通用するが、その人ごとに定義はまるで異なる。
10時半頃まで飲んだ。
新高円寺まで歩き、マックでポテナゲ大を買い、歩いて帰宅。2キロほど歩いた。
ポテナゲを食べ、コーラに安ウイスキーを入れて飲んだ。
1時就寝。