朝、がんもどき入りおでんもどきで朝飯。
仕事とプライベート両方のtodoリストを作る。
作っている途中で突然、
「孤独と寂しさは違う」
というフレーズがひらめいた。
なぜそんな言葉を思い浮かべたんだろう。
そう思いながら作業をしていると、いつの間にか孤独について考えていた。
寂しさとは、孤独中毒ではないだろうか。
孤独それ自体は悪くない。
ただ摂取量を間違えると、寂しいという反応を引き起こしてしまう。
うまく付き合えば人を思索的にし、日常に緩急をつけてくれる。
夕方実家に帰る。
三ヶ月ぶり。
筍ご飯、刺身、おひたしで夕食。
住所録ソフトを見てくれないかと父に言われ、実家のノートPCを開く。
アドレス帳の印刷で列幅の調整がしたいらしい。
調べてみるとブラウザで表示するだけしかできず、エクセルのような書式の調整は無理だった。
印刷向きを横にすると少しはマシな印刷ができた。
昔住んでいたアパートのことを両親と話す。
2歳から4歳まで江戸川区の松江に住んでいた。
アパートの2階。
風呂はユニットバス。
階段は鉄でできていて、上り下りの時にカーンカーンと音がした。
その階段を逆さまに転がり落ちたことがあったが怪我一つしなかった。
階段を下りたところに小さい池があり金魚が泳いでいた。
手で捕まえると大家さんちのばあさんにげんこつをもらった。
このばあさんは近所のドブ川で取れたザリガニを天ぷらにして食べていた。
戦後の食糧難を乗り越えた人ならでは。
3歳の時に池は埋め立てられ、鉄の階段はまっすぐ下りる形から途中で右に折れる形に改修された。
階段を下りて左手が大家さんの家。
そのまま進むと敷地の入り口。
道に沿って左隣にかりんとうの工場。
入り口に犬がつながれていた。
彼かまわず吠えていた。
向かいには畑があり冬は広場として使われていた。
正月はそこで餅つきをした。
凧揚げもそこでした。
道を右へ曲がり最初の角を左に折れるとすぐのところに駄菓子屋があった。
蝋石やアイスをそこで買った。
蝋石は10円、アイスは30円、やっこ凧は100円だった。
蝋石は道路に落書きをするのに使った。
駄菓子へ曲がらず真っ直ぐいくと友達の家があった。
そのあたりに交差点があり、右に曲がってしばらく行くと公園があり、スーパーマーケットもその辺にあった。
アパートを出て右方向がそんな感じ。
左方向に進むとバス通り。
おばあちゃんの家に行く時は新小岩行きの都営バスに乗った。
ばあちゃんの家は新宿にあった。
新宿から江戸川区の松江に帰る時、母はよくタクシーを使っていた。
その頃は今よりもタクシー料金は割安だったのだ。
ただし、自分は乗り物にとても弱かったので、タクシーで帰るのをいつもいやがっていた。
母としては、子供二人を連れて国鉄と都バスを使って帰るより、家の前まで走ってくれるタクシーの方が数段楽だったことだろう。
たぶんばあちゃんも、
「これで帰んなさい」
とタクシー代と小遣いをいくらか渡していたと思う。
小さい頃のことはすべて、自分視点の映像として記憶している。
その時点ではわからなくても、とりあえず場面を記憶する。
たとえば3歳の頃は工場という概念がわからなかった。
のちにその言葉と意味を覚えた時、
(ああ、3歳の時のあれは、工場だったんだ)
という風に記憶した映像に意味づけする。
その繰り返しで現在に至っている。
自分視点の映像として覚えたものは忘れない。
映像で覚えてさえいれば、後で何とか出来るという自信がある。
色々なことを思い出したついでに、国土地理院のサイトで当時住んでいたあたりの写真を見た。
拡大すると家の前の畑が写っていた。
かりんとう工場の屋根もあった。
記憶にあったのと大体同じ場所だった。
『デューン 砂漠の異端者』1巻読了。
作品用語の区別が時々つかなくなる。
前作から数千年たち、外宇宙へ散った人類が人種的変化を遂げ、侵略者としてラキス(アラキス)に戻ってくるという設定。
宇宙船が光速であるとしたら、ウラシマ効果をどう処理したのだろうか。
その数千年は宇宙船に乗っている人々にとって、体感的にはずっと短いはずだ。
だが、そんなことはいい。
そういうSFじゃない。
2巻目にとりかかる。
12時過ぎ、今のテーブルでPCを開き、なにか作業をしようと思ったのだが、寝オチしてしまった。
起きると3時近かった。
なんの作業をしようとしていたのかすっかり忘れていた。
そういうことは、すぐに忘れる。
PCを落とし、3時過ぎに部屋へ戻って寝直した。