12時近くまで起きられなかった。
何のせいかはわからないが。
ともかく起きて、年末のカンヅメ用の宿を探した。
台本書きのため。
家で書いたり、喫茶店やファミレスで書いたり、色々な環境変化を試したことがあるけど、宿にカンヅメになってというのはこれまで経験したことがなかった。
ファミレスで書くのも悪くないのだが、電源がないとノートパソコンの駆動時間に限りがある。
マックに行けばコンセントつきの店があったりするけど、そういう店は座り心地が良くないので、2時間もキーボードを打っていると体の節々が痛くなる。
たまたま漱石の『行人』を読んでいて、ラストの、兄が旅行するシーンにさしかかっていることもあり、じゃあ自分もどこかに行って書いてみるかと思った次第だ。
とはいえ、都内のビジネスホテルはさすがに侘びしい。
かといって、草津や熱海や伊豆方面だと、2泊缶詰にしては遠すぎる。
色々調べ、甲府駅近くの宿をとることにした。
荻窪からだと、中央線で一本だし。
片道2時間もかからない。
宿と、かいじ号の予約を済ませてから、出かける。
まずは図書館へ。
予約していた本を受け取る。
実は先週、予約していた本が用意できたというメールが一冊分届いたのだが、図書館に行く時間を取れず、保管期間を過ぎてしまった。
5月に予約してようやく用意できたというのに、まったく惜しいことをした。
本を借りてから、投票所へ行く。
政治信条がめちゃくちゃだと思われるような投票の仕方をした。
右だか左だかわからない仕方。
でも、投票率を上げるということ自体が、重要なのだと思っている。
「国民は、一人一発ずつ、弾丸をもってるんだぜ」
とうことを、政治家に知らしめないといけないから。
ドトールへ行き、『行人』読み終える。
最後の場面は『こころ』の手紙シーンを思い起こさせたが、この次の作品がまさに『こころ』だったのだ。
5時過ぎにドトールを出て、薬局で処方箋を渡し、薬を購入。
6時過ぎ、久しぶりに『一圓』に行き、ギョーザとライスで夕食。
7時帰宅。
来年の稽古関連のメールを、関係者に送る。
PCからメールを送るのだけど、届かない人もいるので、そういう人にはスマートフォンから送る。
全員にPCからメールを送れるようにしたいので、その旨も書き添える。
PCからのメールが届かないと、作業量が増えるし連絡ミスも起きる。
迷惑メール対策というのはわかるのだが、届いているか届いていないか判断つかないのが一番困ってしまう。
細田君にメールをする。
プロット、というには、雑然としすぎているものを書く。
イメージ作りの足しになればいいのだけど。
9時過ぎに近所の銭湯へ。
サウナと水風呂の往復をする。
3往復目くらいになると、水風呂がちっとも冷たくなくなるのが面白い。
10時半帰宅。
4年間の<修行>を終えた人にメールをする。
修行というよりも、それは複雑に分岐した運命の迷路に似ていて、どのようにもなり得たあみだくじだったかもしれない。
いかに「個」を捨てるかというところの葛藤は、春夏秋でし尽くした。
自然な気持ちのままで、未来というものについて、認識を確認しあえれば、それ以上望むことはない。
過去の幸せを再現しようとして、人は苦しむ。
そこに、自分の感情を混ぜて、こんなに苦しんでいるという形でアピールする。
でも、<幸せだった過去の日々>なんてものは、それが<現在>だった時点では、大して幸せとは思っていなかったはずだ。
失って初めて、
「幸せだった」
と思うのだ。
「幸せだった」
と思えるだけでも、幸せなのだと思う。
そして、そういう状況で苦しんでいる時こそ、重要なことから目をそらし、大切な選択から「逃げる」ことをしやすい。
ここで逃げると、そのつけは、20年くらいつきまとう。
じっくりと、ダメ人間になっていき、しみじみと不幸になっていく。
そうなりたくないから、そうならないように、過去と現在のことは考えず、未来だけを見るようにする。
難しいようだけど、簡単なことだ。
常に、2年後くらいの自分が一番得をするために、考えて行動すればいいだけの話だ。
って書いても、なかなかそうできないのが、人間というもので。
「業の肯定」と談志さんは言ってたけど。
Book Offで『硝子戸の中』を買った。
この際、夏目漱石は全部読んでおこうと思う。
新潮文庫でいえば、
『草枕』
『道草』
『二百十日・野分』
『明暗』
を残すのみだが、Book Offにはなかなかないのだ。