椎名林檎「加爾基 精液 栗ノ花」を聴いて

 朝7時起床。
 99円ショップまで買い物。
 長ネギとおはぎを買う。
 朝飯は納豆と卵黄とネギを混ぜたもの、めざし4匹、ワカメの味噌汁。
 20分近くかけてゆっくり食べる。

 昼前から雨が降り始めた。
 結構ちゃんとした雨だ。
 冬に雨が降る時は割と暖かいはずなのだが、今日の雨は寒い。

 昼は親子丼。
 親子丼は鶏肉とだし汁を卵でとじてご飯にのせるわけだが、鶏肉と一緒にとじるネギはタマネギと長ネギとで趣が違う。
 長ネギを使う場合はすき焼きっぽくなるので砂糖の量を増やしている。
 タマネギの時はだしを濃いめにしている。
 この二つはどちらも親子丼だが似て非なるものだ。

 椎名林檎「加爾基 精液 栗ノ花」聴く。
 全体的につかみ所がない。
 よく言えば「コンセプトアルバム」指向なのかもしれない。

 デビューアルバム「無罪モラトリアム」の良さは一曲一曲の良さが際だっていることだったように思う。
 アルバム全体のトータルイメージを考えて作られたというよりは、いい曲を集めて編集したみたいな。

 そういう意味で今回のアルバムはどの曲がいいという風には思えない。
 すべての曲が同じイメージで包まれている。

 イメージに慣れ始める後半からは非常に聴きやすかった。
 「おこのみで」「意識」「ポルターガイスト」「葬列」などの後半は結構好き。
 シングルになった「茎」もアルバム版の方が数倍良い。
 歌詞は聞き取れないが。
 前半は「ハッタリ」で後半は「大人になった音楽好き少女が無意識に作った上質の佳曲集」という感じがした。

 プロモーション的に際だつのが「ハッタリ」の部分であるのは仕方ないけれども、本人的にしんどいのではないだろうか。
 10年後くらいに2003年という時代を振り返ってもらったとしたら、決していい時代だったとは言わないに違いない。
 むしろ地獄のような日々ではないのか。

 楽曲の良さに比べてパフォーマンスが泥臭いというのも、どこか不安定な感じがしてならない。
 過激なパフォーマンスはまあいい。
 楽曲もいい。
 だがこの二つを一緒にすると、似合わない。
 やたらと古びた漢字使いをするのも、最低10年は続けないと認められないだろう。
 そうなってくるとパフォーマンスに関して、デーモン木暮と同等のジレンマを抱えてしまうはず。
 しんどいしんどい。

 宇多田ヒカルみたいにパフォーマンスに関する自意識が無意識に近い方が、才能が自然にほとばしるように思える。
 が、考えてみれば今の椎名林檎を作り出したのは、自意識やコンプレックスその他色々の煩悶だろう。
 テレビに出る椎名林檎はいつでもピリピリしている。
 自分を過剰な自意識やパフォーマンスで隠している。
 彼女が着物を着るという行為は、長い年月で確立された様式に自分を包み込むことで、自分を守っているように思える。

 夜、鰻丼、ほうれん草とにんじんとネギと納豆の味噌汁。

 雨は夜になっても降り続けていた。
 かなりの勢いだったので外に出るのが億劫になった。