走り損ない

5時半起き。ご飯と納豆、それに買い足したおにぎりを食べる。
少し早過ぎたので6時20分まで二度寝し、おにぎりをもう一つ食べる。
6時40分過ぎに家を出る。

7時半に浮間舟渡へ。河川敷まで歩きながら、おにぎりを一つ食べる。川原近くにあった巨大なパチンコ屋が潰れていた。
川原にシートを敷き、ウェアに着替え、モンスターエナジーを飲む。ゆっくりとストレッチをしてから、荷物を預け、軽く走ってウォーミングアップをする。

落ち着いた気持ちで号砲を待つ。去年よりも条件はいいはずだ。体重を低くし、走り込みは過去に走った大会を参考にして、トレーニング間隔が飽きすぎず、なおかつトータル距離のノルマはクリアした。あとは、落ち着いて走るだけだ。

号砲がなる。列は少しずつ動いた。スタートゲートをくぐるまで5分かかった。ストップウォッチを押し、流れに合わせて走り始める。

5キロ地点を通過したのは、26分台だった。混雑の中だったが、わりと良いペースだ。そこから先は、流れがスムーズになった。
10キロ地点を52分台で通過。ペースは変わっていない。1キロ5分台の前半といったところだ。14キロから16キロ地点を走る時は、筋肉の状態やコンディションに気をつけた。去年はその辺りで、へたってきたのだ。ペースは変わらず、疲労感の兆しはなかった。

16キロ地点を過ぎると、少しほっとした。去年より間違いなくいいタイムだった。折り返し点を過ぎたら最初の吸水ポイントでアミノ酸などを補給し、そこからが勝負だろうと思った。

20キロ地点を過ぎた時点で、1時間42分が経過していた。折り返し点は1時間47分になるかと思った。3年前の袋井メロンマラソンと同じペースだ。
折り返し点が見えてきた時、右足ふくらはぎの外側に異変が起きた。右足を着地すると、異物感のようなものを感じるようになった。初めは小さい点だったのが、少しずつ範囲を広げ、一歩ごとに痛みが増してきた。
足が攣ったのかと思い、走るのを止め、ふくらはぎのストレッチをした。筋肉を伸ばしても痛みは感じなかった。再び走ろうとすると、前にも増して痛みはひどくなっていた。
目の前に折り返し点があり、その横に救護所があった。足を引きずって近づくと、スタッフの一人がやって来て、患部にスプレーをしてくれた。「座って休んでください」もう一人のスタッフが椅子を指し示した。
体を冷やさぬようにと、毛布を掛けてもらった。時計を見ると、ストップウォッチは1時間48分を指していた。
肉離れだろうか。二年前、小金井公園マラソンを走った時、18キロを過ぎた時に右足に痛みが走った。その時は足が攣ったと思い込み、折り返し点までの3キロを足を引きずりながら走ったが、痛みがひどくなってきたので棄権し、歩いて帰った。軽い肉離れだった。その後ひと月あまり、走ることができなかった。すぐに棄権していれば良かったのだろう。
今回も同じ症状だった。だましだまし走れば、痛みはひどくなっていくばかりだろう。それによって症状は、軽度から重度になるかもしれない。
完走が目的ではなかった。前回のタイムを更新し、再びサブ4の記録を出したかった。折り返し点まで1時間47分から48分ということは、十分可能な数字だった。しかし、同じタイムで残りの距離を走ること到底無理だ。
立ち上がって、右足に体重をかけてみた。ふくらはぎにズキンと痛みが走った。歩くと、足を引きずる形になった。目が合った救護スタッフに、棄権することを伝えると、すぐにシューズの記録用チップを外された。

折り返し点の少し先にバスが何台か止まっていた。先頭のバスに案内された。中には先にリタイアしたランナーが二人いた。たぶん、サブ3、もしくは、サブ3.5のランナーだろう。二人は、エントリーできる他の大会について雑談していた。

毛布をかぶり、座席に座って外を眺めた。荒川河川敷の景色は枯れ草ばかりで、まだ冬の景色だった。Perfumeの「マカロニ」PVで、ロケ地になった辺りだ。あとふた月もすると緑の草に覆われ、景色は一変するのだ。
バスは最後のランナーが折り返し点を過ぎてから出発するということだった。1時前後になるらしい。その時間にゴールしていたはずだったな。
いや、そううまくいったとは限らない。25キロか30キロ地点でへたり、1キロ7分ペースに落ち込み、去年と大差ないタイムでゴールすることになったかもしれない。あるいは、救護所から離れたところで肉離れを起こし、足を引きずって走ることで、もっと足を痛めていたかもしれない。
12時を過ぎると、棄権したランナー達で座席はほぼ埋まってきた。しかし、発車する様子はなかった。体が冷えてきたので、毛布をしっかりかぶり直した。時々、レースとは関係のないランナーが、横目でバスの中をちらりと見ながら走って行った。おれはどういうふうに見られているのかなと思った。けが人だろうか。それとも、ギブアップしたランナーだろうか。
気分が落ち込んできた。戦争で負けて捕虜になり護送される兵士はこういう気分なのだろうか。
1時近くになり、運転手がドアを閉めた。エンジンがかかり、バスは走行コースをゆっくりと進んだ。途中、ゆっくりと走っている最後尾のランナー達を追い抜いた。
京成電鉄の手前でコースを外れ、一般道に入った。不意に、目の前にスカイツリーが見えてきた。そこから明治通りに入る。三ノ輪を過ぎ、王子のトンネルを抜け、北本通りから赤羽を通り越した。東北新幹線沿いの道を進み、浮間舟渡の東口から線路の西側に抜け、中山道を渡り、スタート地点そばの駐車場に着いた。2時半だった。

バスを降り、荷物預かり序に向かった。3時間バスの中でじっとしていたが、右足は良くなっていなかった。足を引きずり、ゲートからランナー達に混じる。ゴールしたわけではないのに、スタッフにお疲れ様でしたと声をかけられた。
荷物を受け取り、シートを敷いて着替えた。リュックの中に、冷凍庫で冷やしておいた濡れタオルがあった。完走したらそれで体を拭くつもりだった。しかし、汗はとっくに乾き、体も冷えていたので、使わずにそのまましまい直した。

ふくらはぎが痛いことを除けば、体のどこにも異変はなかったので、歩いて駅まで向かった。足は引きずらないといけなかったが、小金井公園マラソンの時ほどひどくはなかった。ダメージを最小限に抑えられたのかもしれない。

小金井の時は、大会自体が本格的なものではなく、ランナーが調整用に出る大会だったので、棄権したことのショックはなかった。しかし、今回は自分なりに色々対策を考えて望んだ大会だった。去年、準備不足でひどいタイムを出したことへの落とし前をつけ、心機一転4月から頑張ろうと思っていた。
それが、ぶざまな失敗に終わった。

このまま来年まで待つわけにはいかないと思った。可能な限り早く落とし前をつけなければいけない。今の状態は、フルマラソンを走れるようにコンディションを整えてある。この状態を維持しつつ、次の大会に臨むのが一番良い方法だろう。

3時半に家に着いた。シャワーを浴び、着替え、神保町に向かった。学生時代の演劇仲間で飲む約束をしていた。完走できないとは夢にも思っていなかったので、リタイアした心の状態のまま店に向かう気持ちは複雑だった。

半分くらいの参加者が先に来ていた。久しぶりに酒を飲んだ。話をするのは楽しかったが、心の底から楽しむというわけにはいかず、時々、どこからともなくやってくる惨めさに囚われた。
10時過ぎまで話し込んだ。家族関係や健康関係に、みんなそれぞれ難しい問題を抱えていた。そんな中、マラソンでリタイアして落ち込んでいる自分が、バカみたいだとも思った。

11時帰宅。今日来られなかった友人からLINEがきていた。連絡を待っていたらしいが、行き違いがあって、今日のことを詳しく知らなかったらしい。間に入って、時間と場所を仲介してあげるべきだったのだ。申し訳ない気持ちになった。

12時になる前に寝床に入る。眠くはなかったが、すぐに眠れるだろうと思った。案の定、眠りはすぐにやって来た。アイドリングの回転が段々遅くなっていくような眠りだった。