旅先で知る

どこのSAだか忘れたが、休憩で止まった時に起きた。3時台だった。
先日、能代に行った時と比べて、席の乗り心地が良かったため、名古屋に着くまでよく眠れた。
名古屋から四日市、津と止まった。次の松坂で降りた。7時40分だった。

朝飯に駅弁を買おうと思い、JR松坂駅の『あら竹』販売店へ行く。しかし、目当ての牛焼き肉弁当は売っていなかった。8時過ぎに本店から届くとのことだったので、待ちますと答えて駅を出た。
本店に直接行ってみたが、受付カウンターに人がいなかった。そのまま周辺をうろちょろし、ファミリーマートでコーヒーを買った。
松坂駅に戻ると8時を過ぎていた。牛焼き肉弁当が来ていたので一つ買った。駅弁の箱にJRのなつかし電車の写真を貼るサービスをしているらしかったので、DD51型ディーゼル機関車を選んだ。子供の頃、貨物列車をこの機関車が引っ張って走っていたのをよく見たものだ。

8時半に車を借りる。弁当を食べたかったのだが、駅周辺の日陰とかで食うよりは、もっとマシなロケーションができそうだった。

ナビを御座白浜海岸に設定した。そこでひと泳ぎするつもりだった。途中のどこかで、弁当を美味しく食べられそうな場所に遭遇したら止まることにした。

伊勢を抜け志摩を抜け、途中コンビニに寄って麦茶を買い、船越前小公園という公園に車を止めた。10時を過ぎていた。海が見えた。ここで弁当を食べようと思った。朝飯には遅い時間で、腹ぺこになっていた。

弁当のふたを開けると、あれっ? と思った。肉が二枚しか入っておらず、ボリューム感はスカスカだった。やはり、名にし負う松阪牛であるから、1500円という値段では2枚入れるのが精一杯だったのかもしれない。
味は良かった。でも、1500円出して買うほどのことはないなあ、と思ってしまった。せめて牛肉をあと一枚は入れて欲しかった。

昼前に、御座白浜海岸に行ってみるつもりでいたが、結構時間がかかってしまったので急遽やめにした。
今日の目的は、銚子川に行くことだった。とにかくあの川を見てみたかった。できればシュノーケルをつけて泳ぎたかった。

そちらが主目的だとすると、さっさと向かった方が良さそうだった。で、ナビを銚子川にセットし直した。せっかくの伊勢志摩を存分に堪能できなかったが、まあ仕方ない。全部は無理だ。

二時間ほど車を走らせた。途中、眠気を感じたので、いったん休んで仮眠をとろうかと思ったが、Bluetoothでスマホ接続したスピーカーからGLIM SPANKYの曲を大音量で流すと、眠気が吹っ飛んでしまった。

1時過ぎに銚子川に到着。ひとまず道の駅に車を止め、早めの昼飯を食べた。さんまの竜田揚げ丼。これが思いのほか美味かった。さんまの唐揚げに甘辛いタレがかかっている。自分でも作れそうだ。

市のサイトを調べ、銚子川の駐車場が半分閉鎖されているのを知っていたので、あいている駐車場に向かった。ところが、そこの入り口は封鎖されており、なぜかパトカーが二台くらい来ていて、パトランプをくるくる回していた。

結局、車を止めるために道の駅に戻り、そこから歩いて銚子川に向かった。

普段、人が多く集まる淵や瀬は入り口が封鎖されていた。『ご遠慮ください』の看板だけがあったので、またぎ越せば入れたが遠慮した。

で、川上に少し歩くと、河原に降りるスロープがあった。そこは封鎖されていなかった。家族連れがいて、足首くらいまでの浅瀬で水遊びをしていた。

川に入った。水は深いところでもふくらはぎまでしかなかった。しかし流れはしっかりしていた。

向こう岸に渡り、上流に向かって河原を歩いた。人はいなかった。やがて、やや川幅が広くなったところに着いた。淵はなかったが、太ももくらいの深さはありそうだったので、川岸にリュックを置き、ゴーグルとシュノーケルをつけて川に入った。

川の水は本当にきれいだった。透明感がやばかった。ずっと向こうの方まで見えるのだ。
川底には石が転がっており、水の底にはハゼらしき魚がいた。鮎が低層から中層を泳いでいるのも見た。石の間からウナギが頭を出しているのも見た。水はそれほど冷たくなかった。

もう少し上流に行けば、もっと深い淵があるのだろうが、水中の基本的な色合いはわかったし、住んでいる生き物も変わらないだろうと思い、それ以上の移動はしなかった。

4時前に切り上げ、車のところに戻る。新しく買ったマリンシューズはスニーカータイプで、それを履いたまま地上も歩けるが、右足に靴ずれができてきた。

道を南下し、尾鷲市のダイソーへ。豆スナックと着替えを買った。

今夜の宿はゲストハウスを予約していた。システムとかよくわからなかったが、先に市の入浴施設で風呂に入っておいた方が楽そうだと思ったので、その施設に向かった。
施設は、幸いなことに営業していた。サウナもあった。ただし、シャワーで出す水がそんなに冷たくなかった。
風呂から上がり、塩サイダーとかいうのを買って飲んでみた。ほんのり塩分が効いていて美味かった。

夕食を食べるため、駅近くに移動し、車を停めて歩いた。まず、目当ての店に行ってみると、『本日休業』の看板が出ていた。次に、別の店の前まで行ってみたが、そこもシャッターが下りていた。
車に戻り、さらに他の店に向かうが、どの店もやっていなかった。街中の飲食店が閉店しているような感じになっていた。

こうなったらどこでもいいと思い、市街地の南端にある飲食店に入ってみた。さんま寿司が名物の店らしかった。おっさんと若い兄さん二人で切り盛りしており、注文と同時に支払いをするシステムだった。兄さんはテンパっている様子だったが、特に店は混雑している感じではなかった。
スタミナラーメンというのを頼んだ。スライスしたにんにくと豚肉の炒めものが乗ったラーメンだった。まあまあだった。

店を出ると7時になっていた。車に乗り、九鬼方面に向かう。途中、コンビニに寄ってビールとサワーを買った。

九鬼への道は真っ暗だった。ハイビームで慎重に運転した。長いトンネルを抜け、九鬼の漁港に着いてから、宿の人に電話をして駐車場の場所を聞くと、漁港沿いに縦列駐車してくださいと言われた。確かに、そうやって止めてある車が何台かあった。

車を止め、宿にしたゲストハウスへ。古民家を改装したところだった。説明など受けていると猫がのそのそやってきて畳に寝そべった。「こんばんは」と挨拶したが無視された。「マイペースな猫なんです」と宿の人は言った。

部屋に案内され、スマホを充電していると、ナベさんからLINEが届いた。メッセージを読んで驚愕した。イルカ団の小林ヒデタケくんが急逝したというのだ。

初めは意味がわからなかった。今週から新作の本番を迎える予定で、ナベさんはそれに出演していた。

少ししてから返信し、事情を聞いた。コロナで亡くなったわけではなく、あまりにも突然の、ということだった。

そして、かつてイルカ団によく出ていた、タケシくんという役者も、数ヶ月前に亡くなっていたことを知った。ヒデタケくんは自分のツイッターにそのことを書き、嘆いていた。また、過去には、自死はいけないとつぶやいていた。

ヒデタケくんと最後に会ったのは、彼の舞台を見に行き、受付で挨拶した時だ。たぶん2015年頃だったと思う。それ以前はというと、2009年にイルカ団に客演した時が想い出深い。現在の公演スタイルを構築し始めた頃で、ツイステッドコメディーを標榜するようになっていた。
その前にイルカ団に出たのは26歳と27歳の時だ。作風はかなり今と違い、説明の難しい、ある種の『味』で笑わせることを志向したものだった。わかりやすさと正反対にあったため、舞台に爆笑が渦巻くことはなかったが、自分のスタイルを守ることについて、ブレはなかった。
その後、知り合いの別の役者がイルカ団に客演するようになり、何度か見に行った。鷺沢萠さんと共同脚本を書いて演出するようにもなったが、その作品は見ていない。
鷺沢さんが自殺した時、ヒデタケくんがどれだけショックを受けていたのかは、客演していた役者から聞いた。見るに忍びないほど落ち込んでいたという。それから何年かして、再びイルカ団で公演をするようになった時に見に行った。出演者が若い役者たちにがらりと変わり、芝居に元気があった。この時、芝居後の飲みに顔を出し、少し話をした。立ち直ったのだなと思い嬉しくなりった。

その時のことはブログに書いた。

ヒデタケくんは、オレがマグネシウムリボンを旗揚げした時のキーパーソンだ。彼と電話で話し、旗揚げについて背中を押してもらったのがきっかけだった。旗揚げ公演にも出演してくれた。また、彼の舞台で共演した役者つながりで、今にもつながる付き合いの広がりができた。

信じられない。君はいまどのへんにいるんだ?