千秋楽、そしてビール

 10時に目を覚ました時、こんなことを書くと不謹慎極まりないのだが、あー劇場行きたくねえ、と、思ってしまった。
 もちろん瞬間的に自問自答する。
 「お前が行かなかったらどうなるの?」

 なぜそう思ったかというと、おそらく火曜日から五夜連続毎日続いている飲みのせいだろう。
 しかも連日の猛暑のために、ビールがうまいったら、もう。

 当然、店に入っては生ビール。
 ビールビールビール。
 終電が近くなり慌てて退散。
 熱帯夜。
 寝不足のまま仕事。
 本番。
 ビールビールビール。

 こんな生活を毎日続けていては、肝臓が日本経済みたいになってしまう。
 幸い今日は千秋楽だ。
 明日から、しばらく酒を断とう。

 昼公演が終わり、夜までの間、役者はみんな眠っていた。
 お手伝いの人々や、スタッフさんは、ロビーで談笑。
 非常にわかりやすい構図であった。

 昨日の夜あたりから、芝居自体が勝手に熱を帯び始めたようだ。
 叫ぼうとしなくても、なぜか叫んでしまうような状態になった。
 理由がないので、説明を求められると困るのだが、「場」がそういうエネルギーを求めることがあるのだと思う。
 逆算して、エネルギーを貪欲に欲する「場」をうまく作ることができれば、細かい駄目出しはいらなくなり、転がるに任せておけば良くなる。

 楽日は大いに叫び、ギョーザを食った。
 今回の公演中、芝居の出来不出来をまったくといっていいほど考えず、とにかく餃子の出来不出来に心を配った。
 冗談ではなく、演出という立場の自分が率先してそうすることで、「場」がエネルギーを求める構造になるのではないかと思ったわけだ。

 とりあえず、失敗したのは、餃子についてあれこれ悩みすぎたために、本番でせっかくうまい餃子が作れたのに、素直においしく味わえなかったことだ。
 もともと、好きな食い物を嬉しがって食う、ということをやりたかったのに、本番であまり好きじゃなくなってしまったのは、ショックだった。
 恋愛ものに当てはめてみれば、ショックの質がどういうものだかわかる。
 好きだったから、好きだと叫ぶ芝居にしたら、好きじゃなくなってしまった。
 今回の大いなる反省点だ。

 終演後、すぐにバラシ作業。
 片桐の指揮下で、おのおの作業に没頭。
 ヨネクラさんの描いた中華料理の絵は、照明の千葉さんが持って帰った。

 ヨネクラさんといえば、仕込み初日の帰りに電車の中で、ヨネクラさんは疲れて寝ていたのだが、そのことを日記に書き忘れていたら、翌日悲しげに訴えられたのだった。
 ばらしながら、絵の枚数を見て、なるほど、あの時ぐったりしていたのも無理はないわいと思った。

 パネルをそのままではなくばらしてから搬出することになり、バラシ終了までには結構時間がかかった。

 11時に終了し、その後、皆打ち上げ会場に向かう。
 バラシ手伝いに来てくれたオギノ君が、搬出の車を運転しなければいけないので、王子まで乗ってきた自分のバイクを馬場まで運んで欲しいと言う。

 「あの、SRでしょ」
 「そうです。ドカさんの嫌いなSRです。しかも、今の時点でリザーブタンクですから、いつガソリン切れるかわからない状態です」

 2月に阿佐谷南南京小僧に出た時、仕込み初日に買い物を頼まれ、1時間半もかかってしまった苦い思い出が蘇ったが、まあ、今回は打ち上げに向かうだけだし、止まったら止まったで押して歩こうと思った。

 拍子抜けするくらい、あっさりと高田馬場に着いた。
 望月に電話し、打ち上げ会場の場所を聞き、お店に入ると、前田さんと、受付の伏見さん、王子の玉山さんがいた。
 玉山氏と今回の芝居について、色々話をする。

 やがて電車移動組も到着し、夜の12時過ぎから打ち上げ。
 玉山さんや、衣装のin-vi氏、音響の坂など、お世話になったスタッフさんと話そうと思い、テーブルを移動しつつ飲んだが、とても語り尽くせる時間はなく、明け方になってしまい、気が付いたら倒れていた。
 話したい人が山ほどいたのに、残念だ。