濁音の多い後輩

8時過ぎ起き。起きてからしばらくして自分が起きていることに気がつくという起き方。
あまり寝た気がしないまま、松屋で牛丼を食う。
そういえば去年の夏もよく朝飯に松屋を利用していた。
夏の朝は松屋に行きたくなるものなのだろうか。

「朝のガスパール」読了。
1991年の作品だが、当時すでにパソコン通信における言葉の乱れやマナーの悪さが問題になっていたらしい。
「言うだけはタダ」だもんな。

言論の自由という文句があるけれども、それを既得権として軽々しく振りかざしてはいけないと思う。
我々が血を流して得た権利ではないし。
なんだかお題目のようになっているけど、その自由の歴史はたかだか数百年だ。
まだまだ改良の余地が十分ある自由なのだ。

昼、品川へ行く。
山手線に乗っている時、誰かから電話があった。
知らない電話番号だった。

本屋にて「番長日記」を見かける。
フライデーの連載が単行本化されたらしいが、肯定的な売られ方をされているのはどうかと思う。
連載中は清原を貶め、茶化す意図しかなかったように思う。
文章のレトリックも陳腐で、茶化すことで逆説的に清原を生かすような書かれ方さえされていなかった。
清原は自分の力で今の存在感を示すに至ったが、はからずもそのプロセスそのものが「番長日記」の存在をコミカルなものにした。
まるで意図されて書かれたカリカチュアみたいに。
それを本にして売るなんて、神も仏もないのだな。
帯に清原がひと言メッセージ。
「買うたらあかんで」

夕方、中野ブロードウェイに寄り、牛肉を買う。
100グラム65円ほどのもも肉ブロック。
ローストビーフにしてしまおうとその時思ったのだが、うちに帰る頃なぜか全身がけだるかった。
寝不足が祟ったのだろう。
シャワーを浴びて仮眠を取る。

夜10時に電話。
昼間の知らない電話番号だった。
出てみると、漠の後輩春田君だった。
明日行われる、木村君とかおりちゃん結婚を囲む会の幹事を彼はしている。

「実は、明日のことなんですけど」
彼の発音ではこう聞こえる。
「じづは、あずのごとなんですげど」
大河内伝次郎みたいだ。

「ぎむらの代より上のぜんぱいだぢもぐるんでずよ」
「へえそうなんだ」
「ぐろださんと、大田さんと、ぎくぢざん夫妻がぎます」
「懐かしいね」
「ぞこでお願いがあるんですけど、僕ら、上の人とあまり話したことないんで、ドガざんに色々お話して頂きたいなと」
「先輩達ど話ぜばいいのね?」
「お願いじます」
「わがっだ。ぞれがら?」
「あどですね、会の進行中に色々振りまずんで、何かおごどばをおねがいじます」
「急にスピーチどが振らないでね。ぞれがら?」
「以上です。ぞれじゃよろじぐお願いじまず」
「わがっだ」
飲んだ帰りに電話をじでぎだ彼は妙にデンジョンが高がっだ。
電話を切っでがらじばらぐ、彼の影響で濁点が抜げながっだ。