ハウルの動く城

 朝8時過ぎに起きる。
 週末土曜日の朝にしては珍しく早い時間だ。
 トーストを2枚食べてから、立川のシネマ・ツーに行く。
 「ハウルの動く城」を観るためだ。

 前回「千と千尋の神隠し」を観た時は、公開6週目くらいだったので、土曜日の昼間にのこのこ吉祥寺に出かけて見ることができた。
 だが今回は公開して日が浅いため、混雑を避けるために朝一番の回を狙ったのだ。
 しかも都心ではなく立川。

 9時15分頃映画館についた。
 朝一番から悪夢のような長蛇の列ではなく、すんなりと館内に入ることができた。
 だがいい席はさすがにあいていなかった。
 上演時間は10時だったので、それまでうたた寝する。

 眠くて仕方なかったのだが、映画が始まって5分ほどで作品世界に引きずり込まれた。
 宮崎監督が宮崎監督のパロディを作っているかのような、あまりにもジブリっぽいつかみのシーンが続く。
 だが今にしてみれば、単なるサービスだったのではないかと思える。
 映画が伝えたいことはその後からはじまるのだった。

 主人公ソフィーの声を倍賞千恵子が演じていた。
 20歳前後の若い女から、90歳くらいの老婆までの声を出していたのだが、若い女の声がナウシカそっくりだった。
 魔法使いハウルの声は木村拓也。
 宮崎アニメには珍しい、貴公子然としたキャラクターだったが、それを無難に演じていた。
 荒地の魔女は、美輪明宏。
 第一声で人を引き込む、まさに魔女の声だった。

 少し前の週刊文春に小林信彦氏による試写の感想が載っていた。
 映画に戦争体験の影が見られるというようなことが書いてあった。
 小林さんは自らの空襲体験を想起したらしいが、宮崎監督はたしか終戦の年にはまだ5歳くらいだから、疎開のことを考えて実体験からイメージを想起したとは考えにくい。
 だが、2001年の9.11テロから続く数々の戦争が作品に影を落としていることは否めなかった。
 グロテスクな兵器が火を吐き、町が火の海になっていくシーンは、戦争がどういうものかを感覚的に伝えるのに十分な迫力があった。

 だからといって反戦映画というわけではない。
 固い言い方をすれば、テーマは「老いと自立」だろう。
 ソフィーは魔女によって呪いをかけられ、老婆の姿になってしまう。
 呪いをかけられる前のソフィーは、消極的で劣等感の固まりだった。
 老婆の姿になっても絶望することなくそれを受け入れる様は、まるで自分に見合った外見を手に入れて安らいだかのようだった。

 ハウルの城で暮らすことになったソフィーは彼を愛するようになるが、気持ちの揺らぎによってソフィーの外見は若くなったり中年になったり老人になったりする。
 この映画の一番のみどころは、そこだろう。

 ラストは宮崎監督にしては珍しいほどのハッピーエンドだった。

 登場するもののけめいたキャラクターは楽しい。
 城を動かす火の<カルシファー>や、かぶ頭のカカシなど。
 カカシについては、呪いがとけるシーンに大笑いしてしまった。

 上演時間は2時間。
 「千と千尋の神隠し」のような圧倒的面白さはないが、堅苦しいテーマにエンターテイメント性を持たせ、啓蒙臭を排除してみせたところはさすがに名人芸だった。
 大人の鑑賞に耐える渋い作品だと思う。

 立川中華街で飲茶を食べ、駅前をぶらぶらしてうちに帰る。
 朝が早かったため、夕方には眠くて仕方なかった。
 夜9時過ぎまで仮眠をとる。

 起きて鶏肉のちゃんこ鍋を作って食べる。
 なめこを入れたらスープがドロドロになってしまった。
 おまけになめこは小さいので、他の具材に隠れてなかなか出てこない。
 味はうまいけど、具材として選んだのは失敗かも。