夕方、久しぶりに南荻窪図書館に行く。
11月以来だ。
行きたい行きたいと思っていたのに、公演が重なり足が遠のいていた。
2ヶ月も間があくと読みたい本の傾向が変わっているから、以前とは違う目で書架を見ることになる。
11月に来た時は、小説とか演劇・映画・哲学などの棚を見ることが多かったが、今日はコンピューター関係と経済関係から本を探した。
その結果次のことがわかった。
この図書館にはいわゆるビジネス書の類は少ない。
映画・演劇の蔵書は充実していること。
思ったより総蔵書数は多くない。
とはいえ、映画・演劇関連の本が多いのは嬉しい。
この図書館の職員は親切で、館の雰囲気は静かでいい。
求める本がなくても、自転車を使えば宮前や西荻北、荻窪中央図書館を利用できるし、リクエストカードを活用する手もある。
ウディ・アレンのインタビュー本『ウディ・オン・アレン』を借りた。
インタビュアーはスウェーデン人。
ウディ・アレンはスウェーデンの監督ベルイマンが好きだ。
相手がスウェーデン人だからインタビューを承諾したのかもしれない。
『タモリ倶楽部』見る。
昨年引越しをしてから、なぜか毎週欠かさず見るようになった。
何年か前、毎週ビデオ録画をしていたが、録画し忘れても「しまった!」と思いづらい番組の雰囲気が原因で、いつの間にか見なくなっていた。
最近もたまに見逃すが、あまり惜しいとは思わない。
が、見たら見たで大変楽しい。
テレビとの付き合い方について書かれた本といえば、ナンシー関が書いた数々のコラムが思い出される。
ひどいテレビ番組を見るたびに、
(ナンシー関なら、どう分析しただろう)
と思ってしまう。
ナンシー関は、視聴者の姿勢を決して崩さなかったから、演出をこうすればいいなどといった作り手の意見は書かなかった。
だからこそ、同じく視聴者の立場である読者は、彼女の考えを極めてスムーズに受け入れることができたのだろう。
作り手の立場で書いたものとして一番共感できる本は、景山民夫の『極楽TV』だ。
今から20年以上前に『宝島』で連載したコラムをまとめたもので、テレビは消さない限り消えてくれないという当たり前の定義に立ち返り、
「テレビを消せ!」
と論じている。
テレビ論として、今でも通用する部分がとても多い名著だと思う。
なるほどなあと思った個所がある。
鶴太郎が力士に扮したコントのエピソードだ。
番付に鶴太郎の四股名が表示される。
次に対戦相手の四股名が表示される。
そこには『東京湾』と書かれている。
次の瞬間、鶴太郎は東京湾に落ちる。
対戦相手が『東京湾』と出た瞬間、東京湾に落ちるというコントだったらしい。
ところが、実際の撮影では、
(東京湾にロケする金がない)
ということで、鶴太郎がプールに落ちる映像に変わっていたそうだ。
景山民夫は、
(それじゃ全然面白くない)
と書いている。
確かにその通りだろう。
面白いことをちゃんとやるにはお金がかかる。
まったく正しい。
だが、現在ではそうはいかない。
お金は、かけられない。
かけたくないのではなくて、かけられないのだ。
笑いに限ったことじゃないと思う。
何にお金がかかるのか?
やはり、人だろう。
人を時間で拘束すれば金がかかる。
『タモリ倶楽部』は、金をかけていない番組だと思う。
だが、金をかけないで企画を立てるというのが、一つの遊びになっている。
だから貧乏くささがなく、見ていて楽しい。