竜助の死

 読む本がないからと再読を始めた小林信彦作品。
 そのうち笑い関連の本のみ再読を続けている。
 『横山やすし天才伝説』読む。
 先日なくなった松本竜助のことを思い出した。

 島田紳助は、
 「50歳になったら一度だけ漫才をしよう」
 と竜助に言っていたらしい。
 しかし、本当に実現していただろうか。

 竜助のイメージといったら、女好きということしかない。
 80年代初期から中期、ビートたけしのオールナイトニッポンで、竜助の女癖の悪さをさんざん聞いた。
 週刊誌で、ベッドテクニック講座を連載していたこともあった。
 もちろんメインは裸の女性なのだけど、竜助も落ちぶれたなあと思ったものだ。

 昔ビートたけしが爆笑問題について、
 (あとは太田が相方を切ることができるかだ)
 というようなことを活字にしていた。
 ツービートの漫才は実力的にトップとはいえず、よくて三番手くらいだった。
 「だから俺は相棒(きよし)に言ったんだ。漫才練習しようって」
 ところがきよしは、今の人気のままで十分だというようなことを言ったという。
 1984年の著書『たけし吼える』には、そう書かれている。
 ビートたけしは意図してきよしを切ったわけではないにせよ、きよしとコンビを組んだままだったら現在の地位にはいなかったろう。

 漫才ブームは沢山のコンビをあっという間に有名にした。
 しかしブーム自体は2年足らずで終わってしまったから、必然的に漫才師同士の生き残り競争は熾烈を極めた。
 ブームが異常だったため、その熾烈さも異常だったし、売れっ子から忘れ去られるまでの落差も異常だった。

 ブーム以後の竜助が送ってきた人生は、漫才ブームを生き残ってきた芸人達にとって他人事とは思えなかっただろう。
 生き延びるために切り落とされたもう一人の自分。
 多くの芸人達にとって、竜助はそういう存在だったのではないか。

 夕方、ジョギングをしようと思ったが、どうも体調が悪かった。
 今週はずっとそうだ。
 天気が悪かったり体調が悪かったり。
 先週金曜から走っていない。

 親子丼を作って食べる。
 この前作ったときよりはうまくできたが、まだ卵のとじかたに不満がある。
 半熟になるだけでなく、ご飯と絡んでおいしい風味を出して欲しいのだが。
 タイミングの問題だとしたら、熟練が必要だ。

 『タモリ倶楽部』見る。
 工場に魅せられた人々による、京浜工業地帯のクルージングという企画だった。
 工場には、必然性が積み重なった偶然の造形美がある。
 工業地帯ごとの写真を見て、その美しさに驚いた。

 コーヒーを飲み、ホットケーキミックスで焼いたケーキを食べる。
 一度焼くと3日くらいもつので、買うよりも実は面倒くさくない。
 クッキーもしかり。