ロビンソン漂流記

 『ロビンソン漂流記』を買った。
 昔、子供の読み物として書かれた『ロビンソン・クルーソー』は読んだことがあるのだが、原作の翻訳を読むのは今回が初めてだ。

 無人島に漂着し、船の積み荷を引き上げて少しずつ住処を築いていく課程は、昔読んだ時と同じくスリリングで面白い。
 ふと、筒井康隆『敵』を思い出した。
 老人の日常生活が極めて細かく描写されている部分は、どことなく<漂流記>を連想させる。
 いつ死ぬかわからないという意味では、無人島も老年期も同じだ。

 『ロビンソン漂流記』を買った西荻の古本屋には、映画の本がたくさんあった。
 映画『トラ・トラ・トラ』に関するドキュメンタリーがあったので、立ち読みした。
 この映画は黒澤明が監督をする予定だったのだが、様々な事情で降板することになったのだ。
 その、降板に至るプロセスが、さまざまな角度から検証されていた。
 読むほどに、黒澤監督は引き受けるべきではなかったと思った。
 スタッフの言い分も正しいだけに、状況的に黒澤さんがどんどん悪役になっていく。
 しかし、監督はただ、自分の望みうるちゃんとした映画を撮りたいだけなのだ。
 一番いけないのはプロデューサーだが、そのプロデューサーの言うことを頭から信用して仕事を引き受けたのが黒澤監督自身だから、なおのこと切ない。

 夕方、弥生町で稽古。
 稽古場周辺を20分ほどジョギング。
 あとは筋トレ。

 豊田君と須藤さんのシーンを稽古する。
 一回、シーンをざっと通してから、手をつける場所を考える。
 読み方、滑舌、発声より、まずは人間関係を理解するところからはじめようと思った。
 お互い、相手役のことをどう思っているのかを解説し、シーンを返す。

 二人のシーンに片桐が加わる。
 片桐の台詞には、モデルとなった人物がいるのだが、話し言葉ではなく書き言葉なので、どのように台詞として喋るかが第一の課題となる。
 たぶん、役の気持ちや本心は、台詞とは別のところにあるのだろう。
 目配せや、相手の台詞を聞いている時などに、そうした部分がぽろっと出るのかも知れない。

 鶴マミと綾香シーン。
 綾香の声が誰かに似ているなあと思っていたら、横から鶴マミが、
 「恋のダウンロードですよ」
 と言った。
 なるほど、確かに似ている。
 いい声なので、武器を一つ持っていることになる。

 二人のシーンは、じゃれ合うようなものになっている。
 空間の束縛が少なければ少ないほど、動きは自由になるのだが、演出の指示も束縛になりうるから、今のところは何もない原っぱで駆け回ってもらいたいなあと思う。
 駆け回るうちに、必要な広さ、必要な遊具が明らかになってくる。
 動きの指示はその段階だから、6月10日前後になるだろうか。

 9時45分稽古終了。
 西荻で買い物をし、11時帰宅。

 『タモリ倶楽部』見る。
 空耳アワーも、毎週毎週見ていると、驚きが少なくなる。
 ここのところあまり面白い作品がない。

 2時過ぎ就寝。