ゲームとしての天下統一

朝、角煮で朝飯。

仕事にて、大胆な変更を依頼される。
結局最後にはやるしかなくなるのだから、初めからごねずに最短ルートを探る。
9月からアシスタントさんが手伝ってくれているので、考える時間がとれるのが心強い。

「できれば11月2日までに」
と言われたのだが、頑張って本日中に処理する。
エラーもでるだろうが、それは2日に対応すればよい。

昼、食堂で適当におかずばかり食べる。

夕方、残業せず退社。
歯医者へ行き、先週やり残した治療をしてもらう。

「奥歯の、歯ブラシが届かないところが虫歯になりかけていたので、少し削りました。金属を詰めるほど削ると、かなり時間もかかってしまいますんで、今回は樹脂で詰めています。奥歯ですから、どうしても食事で噛み合わせる時にすり減ったりするんですが、そういう意味でも様子見という感じです。また半年くらいしたら検診のDMを送りますので」

要するに、ガリガリ削るほどではない虫歯予備軍に対して、応急処置はしおいたというところか。
確かに、歯ブラシが届かないところではある。
デンタル・フロス伯爵に登場願わねばならないだろう。

それはそれとして、次回の検診は来年春だろうか。
今回の通院が3回で終わったのはラッキーだった。

水道橋駅近くの「天下一品」で、ラーメンとライスを食べる。
たまに食べたくなるのだ。

『源氏と日本国王』読了。
代々の武家政権がなぜ天皇制を打倒しなかったのか、その鍵が<源氏長者>にあるらしい。
だが読んでいて、内容が頭に入ってこなかった。
読み方が雑だったのかもしれない。

南北朝以降の天皇が歴史の表舞台に立つことはほとんどない。
武家政権に押さえつけられたからという後世の解釈が、間違っているんだろうなあというのは、感覚的にわかる。

天下を統一するのがゲームだとすれば、天皇は<審判>のような存在だったのかもしれない。
倒したら、ゲームは成立しない。
だから天皇を打倒しようなどと、誰も考えない。

もしも<征夷大将軍>の<征夷>がなかったら、幕末の様相は変わっていたのではないか。
黒船が来た。夷狄は打ち払うべし。
ところが、幕府は及び腰。
征夷大将軍が征夷出来ないのはなんたることかと、攘夷思想が尊皇と結びつき、尊皇攘夷となった。
なるほどわかりやすい流れだ。

夜、ジョギング。
NTT武蔵野研まで往復。