7時半に朝食。
パンにはせず和食。
品数の差で、結局いつもそうなる。
部屋に戻り荷造りをする。
一部は宅急便で自宅へ送る。
二日間飲んだお酒の料金をフロントで払い、宅急便の手続きをする。
島の東側へ下り、一昨日見ることが出来なかった波浮港へ行く。
神社でお参りをし、湾内を写真に撮る。
曇っていた。
古い町並みが残っていた。
つげ義春の漫画に出てきそうな眺めだ。
名物のコロッケ屋で揚げたてを買って食べる。
揚がる時間を見計らった近所の人が集まっていた。
店の親父さんが中学生くらいの女の子に声をかける。
「大っきくなったなあ」
女の子は手足が長くて棒みたいに細く、肌はまんべんなく焼けていた。
「下に何人いる?」
「弟と妹が3人!」
「へえー、そうかあ」
女の子は嬉しそうに笑っていた。
結構有名なコロッケ屋らしく、有名人のサインが沢山飾ってあった。
親父さんと中曽根首相のツーショット写真まであった。
防波堤でコロッケを食べる。
ジャガイモが甘くておいしい。
シュノーケルをつけた地元の子達が、潜って生き物を探していた。
遊泳区域など、土地に住む人間には関係ないのだろう。
石段を上り、旧港屋旅館に入る。
入り口をくぐると自動音声が流れた。
中は閑散としており、客は誰もいなかった。
昭和20年代の賑わいを写した写真が飾ってあった。
港には船がぎっしり停まっている。
現在の鄙びた様子からは想像もつかない。
港屋を出て石段を上り、甚の丸邸へ。
その区域はかつて網元達のお屋敷町で、波浮の経済の中心地だったらしい。
明治・大正時代の贅沢な建築様式で、下田の影響が見られると、説明書きにあった。
周遊道路を時計回りに南へ走る。
途中、海がよく見えるスポットがあったので車を停める。
利島が見えた。
空に靄がかかっているため、島影はぼんやりとしていた。
千波地層切断面を通り過ぎて少しすると、「カッパの水」という池があった。
大島には川がないが、山頂に降った雨がふもとで地下水として供給されているのかもしれない。
カッパの水もその一つだろうか。
元町に近づくにつれ、空が晴れてきた。
西から吹いてきた風が山を越える時に雲になり、島の東側の天気を曇りにしていたのだ。
入ってみた。
受付のおばちゃんは熟睡していた。
1986年に噴火した時のニュース映像が入口のモニターで流れている。
真っ赤な溶岩が吹き上がっているのは、一昨日歩いた荒れ地だ。
1キロもの裂け目が出来ていたらしい。
地球の凄みだ。
館内に他の観光客はいなかった。
火山に関する様々な展示物を見て回る。
建物の外観・内装共に、バブルの匂いがした。
大島支庁よりも建物が豪華というのはどういうわけだろう。
昼を過ぎていたが腹は空いていなかった。
空港近くにあるONE PACK HOUSE というドーナツ店を調べ、そこへ行ってみた。
ごく普通の民家風の入り口だった。
ドアを開けるとおばちゃんがカップスターをすすっていた。
「はいはい、やってますよ」
「アイスとドーナツとアイスコーヒーください」
「食べて行きますか?」
「はい」
テーブルに座り、クーラーの冷気をしばらく楽しむ。
ドーナツは油っこくなく、アイスはミルクが濃厚で、コーヒーは味がキリッとしていた。
店を出ると2時を過ぎていた。
元町へ行き早めに車を返却した。
東海汽船の発券手続きをし、ロビーのベンチに座る。
朝から、社会科見学のような島巡りをしたなあと思う。
出船時間までロビーにいる人達を見て過ごす。
本を持ってくれば良かったと思った。
船体を浮上させる高速船で、時速80キロだという。
船酔いの心配がない代わり、外に出て眺めを楽しむことはできない。
4時半に出港した。
スピードが上がり、みるみるうちに島は遠ざかっていった。
右の窓から房総半島が見えた。
左の窓は夕日が差し込み、ブラインドを下ろしている人が多く、景色を見ることができなかった。
2時間とかからないうちに、船は竹芝桟橋に着いた。
高速道路で伊豆半島から東京へ戻るより早い。
浴衣クルージングというイベントのためか、竹芝から浜松町駅まで、浴衣を着た女の子がたくさんいた。
昼にドーナツを食べたきりだったので腹が空いていた。
7時過ぎに荻窪へ。
鳥貴族に入り、ジャンボ焼き鳥と釜飯を食べ、ビールを飲んだ。
9時過ぎ帰宅。
背中が日焼けですこしひりひりしたが、先日荒井浜で焼いた時ほどではなかった。
後片付けをしてシャワーを浴び、デジカメで撮った写真を肴にビールを飲み直した。
初日が林間学校、二日目が臨海学校、三日目が社会科見学だったと思う。
1時過ぎ就寝。